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沖縄同時代史 〈第3巻〉 小国主義の立場で (新装版)

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  • サイズ B6判/ページ数 212p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784773628029
  • NDC分類 219.9
  • Cコード C0331

出版社内容情報

"新崎盛暉沖縄大学教授の著作集第3巻。
 【内容】 戦争体験の思想化とは/沖縄大学と「拡げる会」の10年/沖縄にとって「復帰」とは何だったか/沖縄はなぜ「日の丸」を掲げられないか/20年間の米軍用地強制使用/嘉手納基地と沖縄/沖縄戦と朝鮮人軍夫/韓国で沖縄を考える/""革新王国・沖縄""の崩壊/日米軍事同盟の根幹に迫る ほか 
"



はじめに

[I]一九八三年
〈対談〉戦争体験の思想化とは(対談者=日高六郎)

[II]一九八四年
沖縄の開発と住民運動
沖縄大学と「拡げる会」の一○年
海と人の共生

[III]一九八五年
〈対談〉沖縄にとって「復帰」とは何だったか(対談者=新川明)
沖縄から中野先生へ
中野先生と沖縄
〈書評〉近代沖縄の知識人像をめぐって――『天皇の艦長』が提起したもの
沖縄はなぜ「日の丸」を掲げられないか

[IV]一九八六年
二○年間の米軍用地強制使用
米軍用地の二○年間強制使用問題――第一回公開審理を振り返って
嘉手納基地と沖縄
米軍用地の二〇年間強制使用問題・その後

[V]一九八七年
沖縄戦と朝鮮人軍夫
韓国で沖縄を考える――元軍夫慰霊碑除幕式に参列して
“革新王国・沖縄”の崩壊
日米軍事同盟の根幹に迫る
〈講演〉大学の可能性――沖縄大学の試み
「うるま祭り」と海邦国体
祭りの後――海邦国体が残したもの
新聞人の責任と課題

 ◆年表〈一九四五年~一九八七年〉
 ◆初出一覧
 ◆事項解説

■まえがき

 一九八〇年代中期、強いていえば、復帰一一年めから一五年めに当たる一九八三年から八七年までの五年間は、沖縄社会において、時の流れに身をまかせようとする事大主義的多数派と、独自の歴史的体験にこだわりながら、あるべき沖縄像を問い返し続けようとする自覚的少数派の分極化がすすんだ時期とでもいえようか。その過程で「復帰」が、「日の丸」が、「天皇(制)」が改めてその意味を問い返されることになった。それは単なる思想的な営みとしてではなく、「日の丸」掲揚の押しつけにどう対応するか、天皇が足を踏み入れたことのない全国で唯一の地、沖縄への天皇家三代同時訪問にどう対処するかというきわめて実践的な課題として突きつけられていた。そうしたせめぎ合いは、復帰一五周年と符号させて実施された沖縄国体(海邦国体)においてピークに達した。

 同時並行的にこの時期には、米軍用地の強制使用手続きとそれに反対する闘いの過程が進行していた。復帰後一〇年、自分の土地を戦争のためには使わせたくないとする反戦地主の所有地を、沖縄のみに適用される特別法で強制使用してきた日本政府は、保守県政の成立を背景として、一九八二年から八七年までの五年中曽根首相は韓国の全斗煥(チョンドゥファン)大統領を正式訪問し、翌八四年九月には全斗煥大統領が訪日している。ソ連領空侵犯の大韓航空機撃墜事件は、八三年九月のことであり、米海兵隊が、奄美大島の半分ほどのカリブ海の小国グレナダの政権を踏みつぶしたのは十月である。

 八五年八月十五日には、中曽根内閣の全閣僚が靖国神社を公式参拝し、「戦後政治の総決算」が声高く叫ばれるようになった。これと符節を合わせるように、沖縄では西銘(にしめ)知事が、海邦国体への天皇出席によって「沖縄の戦後は終わる」と語っていた。

 ところで、八三年四月から、わたしは沖縄大学の学長になった。八四年一月に書いた『沖縄考・琉球弧の視点から』(凱風社刊。同書の〈増補改訂版〉が、本シリーズの第二巻『琉球弧の視点から』)の序文でわたしは、「大学の体をなさないままに、外圧と内紛のなかに投げ込まれて右往左往していたミニ大学を、なんとか大学とよぶにふさわしいところまでもっていく過程のいわば“雑用係”というのがわたしの役割」と書いている。

 続けて、つぎのようなことも書いている。

「日本政府は、沖縄の広大な軍事基地を維持するために多くのカネで闘われた。大学の雑務と、軍用地問題をめぐる公開審理の準備に追われながら、一坪反戦地主会代表世話人の一人であったわたしは、運動の一つの武器として『沖縄・反戦地主』(高文研、一九八六年)を書いた。

 また、海邦国体が近づいた八七年四月二十九日、約三〇〇人の一般市民が呼びかけ人に名をつらね、一人一〇〇〇円ずつの当面の運営資金を持ち寄って「天皇(制)を考える公開市民連続講座」実行委員会が発足した。この講座のうち八七年十二月までの八講座については、後にわたしと川満信一の共編のかたちでまとめられ、出版されている(『沖縄・天皇制の逆光』社会評論社、一九八八年)。わたしたちが編集に当たったのは出版の便宜上のことで、この講座を実質的に運営してきたのは、ボランティア的な実行委事務局であった。こうした運動の根っこのところには、多分、労働運動とも、住民運動や市民運動とも接点を持つ、無定型な一坪反戦地主運動の拡がりがあるといってもいいだろう。

一九九二年一月

新崎盛暉沖縄大学教授の著作集第3巻。【内容】戦争体験の思想化とは/沖縄にとって「復帰」とは何だったか/沖縄はなぜ「日の丸」を掲げられないか ほか