内容説明
平泉澄(一八九五~一九八四)、国史学者。東京帝国大学にて日本中世史を講じ、社会経済史学の手法を取り入れて新しい地平を切り拓く一方、国体護持のための歴史を説きつづけた平泉澄。戦後長らく皇国史観と断罪されてきたその思想と生涯を問いなおす。
目次
第1章 国史家の原風景
第2章 文化史と日本精神
第3章 欧米体験がもたらしたもの
第4章 皇国護持の歴史学
第5章 政界と軍部
第6章 戦争と国史学
第7章 戦後
著者等紹介
若井敏明[ワカイトシアキ]
1958年奈良県生まれ。大阪大学文学部国史学科卒業。関西大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。現在、関西大学、佛教大学非常勤講師。専攻は、日本古代史、史学史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kenitirokikuti
10
図書館にて。2006年刊行。平泉の没年は1984年である。平泉の言説は、日本を讃美・美化するものではなく、国体の危機に命を捨てて立つ者を顕彰し、そういう者が現れるよう民を教化するものだった。文部省の国民小学校教育の思想とは合致しない。おそらく平泉には撫民という考えはない人だった。2023/11/18
ほうすう
9
私も史学科を出たものですけど、こういった時代でなくてよかったなあとつくづく思う。右も左もきついですよ。2019/05/18
Minoruno
8
平泉寺の神官の子として生まれ、東京帝国大学入学、欧州留学を経て国体護持論に傾倒。これ程の華々しいキャリアを積んだ人が何故皇国史観に向かったのか。その謎を知りたくて本書を手に取った。20世紀初頭の情勢(ロシア革命・大逆事件など)が影響を与えていたのだなぁという印象。また、戦中平泉の活動が軍部などの講演に留まらず、政権中枢の著名人との繋がりを持ち、かなり国政に関与していたことに驚いた。戦後その存在を無かったようにされていたが、日本の歴史学の流れを紐解く上で、皇国史観の位置づけもしっかり検証されるべきだと思う2018/12/30
mitei
7
平泉澄の葬式に当時首相だった中曽根康弘が出席してたことを初めて知った。2010/10/09
Mentyu
5
エキセントリックな印象ばかりが強い平泉澄であるが、評伝を読んでもやはりエキセントリックな人物であった。もとは実証的な中世史を手がけ、アジール論の嚆矢となった新進気鋭の歴史学者であったが、実証主義と教化主義が拮抗して結局は教化主義一辺倒になってしまう。さらに政界・軍部とも関係を持ち、政策決定や戦略・戦術面へも首を突っ込んでいたというのだから、ここまで来ると歴史学者の範疇を軽く飛び越えてしまっている。加えて戦後もへこたれず教化に務める情熱。まさに行動力の化身という印象を受ける人生だった。2019/02/12