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イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告

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  • サイズ A5判/ページ数 239,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784622020097
  • NDC分類 329.67
  • Cコード C1030

出版社内容情報

アウシュヴィッツのナチ将校アイヒマン裁判への透徹した観察。<悪> の陳腐さを衝いた問題作。1961年イスラエルにおけるアイヒマン裁判の一記録。1969年初版


映画情報:
『スペシャリスト』
1999年 仏、独他合作
監督:エイアル・シヴァン

◇その時代の歴史から、名作、問題作が生まれる。アーレントの著作は、ある意味でこの映画の原作である。
 -by「興味深い映画の原作本」(フィガロジャポン2002.8)

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Hannah Arendt (ハンナ・アーレント)
1906年、ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスにおける愛の概念」によって学位取得。ナチス政権成立後(1933年)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得。その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の客員教授を務め、1967年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。1975年ニューヨークで急逝。著書 『全体主義の起原』1-3 (1951, みすず書房 1972年、1972年、1974年) 『人間の条件』(1958年、筑摩書房 1994年)、『イェルサレムのアイヒマン』(1963年、みすず書房 1969年)、『過去と未来の間』(1954年 1968年 みすず書房 1994年)、『ラーエル・ファルンファーゲン』(1959年、みすず書房、1999年)他。

目次

法廷
被告
ユダヤ人問題専門家
第一の解決(追放;強制収容)
最終的解決―殺戮
ヴァンゼー会議、ポンテオ・ピラト
法を守る市民の義務
ライヒ―ドイツ、オーストリアおよび保護領―からの移送
西ヨーロッパ―フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、イタリア―からの移送
バルカン―ユーゴスラヴィア、ブルガリア、ギリシャ、ルーマニア―からの移送
中欧―ハンガリア、スロヴァキア―からの移送
東方の殺戮センター
証拠と証人
判決、上告、処刑

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

(haro-n)

73
アイヒマンの裁判には幾つかの問題点があり、アーレント自身は失敗だとしている。以下印象に残った点のみ。ニュールンベルク裁判の後15年近くたって開かれ、イスラエル国家を建設したユダヤ人側の思惑(アイヒマンにユダヤ人虐殺の全責任を負わせようとした)が反映された検事側の証言、弁護側の証言の少なさなどが挙げられていた。昔からあった反ユダヤ主義による差別やポグロムと違い、ナチスが行ったのは新しい罪=〈人道に対する罪〉だとしている。歴史的な確執・憎悪と全く無関係とは私には思えないのだが、勉強不足なので新訳で要再読。↓2019/02/11

Willie the Wildcat

70
拘束手段と戦後制定の法律による裁判の妥当性は、やはり懐疑的と言わざるを得ない。ドイツ政府も身柄引き渡しを含めた”国民”保護の措置をとらず、最高裁判決2日後に死刑執行など、”勝者”裁判の誹りは拭えない感。確かに同情の余地がないでもないが、提示金・間引き・緩和など、人をモノと見なす言動に嫌悪感。興味深いのが「ハアヴァラ移送協定」。矛盾で成り立つ先入観に、決着をつけたかのようなアイヒマン裁判。真実は小説より奇なり・・・。1つ1つの事実を積み上げ、個々人の義に委ねるしかなかろう。2016/08/13

傘緑

53
「自分の罪は服従のためである…私は皆に言われているような冷酷非道の怪物ではありません…私は或る誤解の犠牲者なのです」クロムウェルに仕え、共和制を支持し、革命(と後の反動)を生きたミルトンが後に『失楽園』で描いた高貴なる悪ですらない。ひたすらに凡庸で、人間性の稀薄な、官僚的なホロコースト、お役所仕事のポグロム、書類の上のジェノサイド。「法の支配は暴力を、また万人の万人に対する闘いを排除するために考え出されたものであるにもかかわらず、それ自身の存在を維持するために常に暴力手段を必要とする…同様に一国の政府も」2017/03/11

藤月はな(灯れ松明の火)

52
私達は集団によって形作られている社会で生かされている。そしてその繋がりを完全に失うことは不可能である。また、人間は自由意志で行動できる生き物であるとされる。しかし、その力は弱く、権力や世論、状況に従うことが多い。なぜなら、従った方が自分の行動に責任を取らずに済むという安楽があるからだ。一番、印象的だったのはアイヒマン裁判での客観性を排除した様子でした。集団になると誰かを罰する時に私達が考え、刑を執行する時に背負う責任は分散されてしまう。故に集団を代弁した正義の執行は個人の魂を潰す暴力へと容易く、変じる。2015/01/14

扉のこちら側

48
初読。ナチの中心人物アイヒマンの戦後裁判の取材録。もっとも大きな知的影響力をもつ言われるアーレント女史著、昨今のノンフィクション物と比較もできない重厚さだった。「政治においては服従と支持は同じものなのだ」との一文の持つ重さ。2012/08/12

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