叢書・ウニベルシタス
プルーストとシーニュ - 文学機械としての『失われた時を求めて』 (増補版)

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  • サイズ B6判/ページ数 241p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784588000492
  • NDC分類 950.28
  • Cコード C1398

出版社内容情報

『失われた時を求めて』の解釈に独自の〈文学機械〉の概念を導入し,文学作品の見方を〈意味〉から〈機能〉へと転換させる重要な論考。原著第三版による増補版。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社トリスタの提供する「読書メーター」によるものです。

syaori

58
著者は『失われた時~』を習得の物語と定義します。主人公は社交や恋に費やす「怠惰な生活」から無意識に人の身振りや嘘の意味や解釈を習得し、だからこそマドレーヌに代表される突然の啓示から死をも超える歓喜の瞬間を、その先の「真実」を見出せるのだと。さらにプルーストが新しいのはその特権的瞬間を描いたことではなく、作品がその瞬間を生産する「文学機械」であることだとします。主人公が見出す「真実」は「われわれの印象から抽出され」「作品の中にゆだね」られるものでもあるのだと。あの長い美しい物語の秘密を紐解くような本でした。2019/05/07

wadaya

10
芸術の世界はシーニュの究極の世界である。シーニュを単なる記号と受け取ってはならない。シーニュは観念的本質の中に意味を見出す。嘘と真実が異なることは誰でも理解できるだろう。シーニュは時に感覚的である。芸術は感覚的シーニュを統合し、物質的な意味の中に具体化された観念的本質に我々が既に関係していたことを理解する。芸術のような感覚的なシーニュが存在しなければ、我々はそのことに気付かないし、一定の解釈のレヴェルを超えることはできないだろう。全てのシーニュは芸術へと繋がっている。そして最も深いレヴェルは芸術そのもの→2021/02/01

yutorineet

10
一部から二部に相当する章で、シーニュの意味から機能への転回がある。 『失われた時を求めて』はシーニュの習得の物語と定義づけられる。シーニュの解釈は、偶然との出会いによって強制的に開始される類のものである。シーニュのうちでも唯一非物質的で最も高度なシーニュが芸術のシーニュである。芸術作品は他者が見る別の世界の見方を提示している。そのような芸術作品の本質は、絶対的な内的差異であり、モナド的な差異である。2020/07/12

hitotoseno

7
一般的に『失われた時を求めて』は記憶にまつわる物語だとされるが、ドゥルーズはその先を追い求める。マドレーヌによってコンブレーを思い出すというのはあくまで踏み台に過ぎず、その先の芸術的な啓示を編み出すために参照されるものに過ぎない。マドレーヌの中に含みこまれたコンブレー、というようにプルーストはその先にある、コンブレーの中に含みこまれた芸術的時間を見据えていた。過去の中に含みこまれた芸術的時間を展開していくために、彼はあれだけの膨大なるページを必要としたのである。2016/06/18

e.s.

0
『失なわれた時を求めて』を、弁証法的同一化に抵抗する、部分を部分のまま肯定する強度の集合体と捉える。小説という形式は、国民国家(弁証法的統一)の芸術である一方、部分を鎖列化(アレンジメント)するマイナー機械でもある。ガタリが『機械状無意識』でヴァントイユのソナタ=音楽を「器官なき身体」と解釈していたと記憶するが、ドゥルーズはあくまでも「器官なき身体」を小説という形式の特性とみなしている。ドゥルーズにおいて小説は特権的なジャンルである。2015/10/05

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