内容説明
今、日本の教育界では、子どもの自主性を大切にしようと、「教える」ことよりも「学ぶ」ことに重点を置きはじめたように見える。これまでの「詰め込み」への反動であろう。だが一方で、教師の役割を軽視しすぎてはいないだろうか?本書では、教師が「教えるということ」をもう一度正面から見つめ直し、今もっとも必要なことは何かということを、すぐれた教師とその教え子、教育社会学者の間で徹底的に考える。
目次
序章 「大村はま国語教室」への扉
第1章 言葉・文化を学ぶことの価値観
第2章 大村はま国語教室の実践(生徒の目から見た単元学習の実際;単元学習の本質とは)
第3章 教えるということ
第4章 中学校の教室から大学の教室へ
第5章 教えることの復権をめざして(徹底したリアリズム;教えない教師たち ほか)
著者等紹介
大村はま[オオムラハマ]
1906年神奈川県生まれ。国語教師として50年以上にわたり実践的指導に携わる
苅谷剛彦[カリヤタケヒコ]
1955年東京生まれ。東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学
苅谷夏子[カリヤナツコ]
1956年生まれ。東京大学国文科卒業。大村はま氏の教え子。結城紬職人、シカゴ日本人学校補習校教員などを経て、現在、「大村はま国語教室の会」事務局長
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ムーミン
30
コロナの影響で教員生活で初めてこんなに長きにわたって子どもと顔を合わせていない時間を過ごしています。子どもたちの学校に対する希望や目の前の先生方の教えることへのモチベーションが低下するのを恐れて……というよりもピンチを感じています。この本を本棚から引っ張り出して読み直してよかったと思いました。こんな今だからこそ、こんなふうに与えられた時間を嘆くのではなく、子どもたちのためにできることは何かという発想へと転換できるよう、私にできることを行動に移したいと思います。2020/04/24
きいち
30
熱い本だ。専門職としての責任感と積み重ねてきた努力がビシビシと伝わってくる。◇学び手が、人から言われたからではなく自分の意思で学んだ、そう思えるような環境を作り、一人ひとりを見ながら少し背中を押す。それが大村が続けてきた実践。二人の苅谷による繋ぎで、その現代性が際立つ。大村の単元学習って、超最先端のワークショップではないか!◇この時50近かった苅谷教授も、70年以上第一線にいる大村にかかっては、こんな若い人が頑張ってる、嬉しい!と若者扱い。もちろん教え子の夫だというのもあるやろけど、心暖まる雰囲気だなあ。2015/01/23
カッパ
21
大村はま先生に興味を持ちました。そして、教えるということにもっと真摯に向き合わなければならないと身を引き締めようと思いました。教材への追求、そして自己の学び、伝える力。やりたいと思うことがわかりました。闘病歴とか履歴とかは取り上げていきたいと思います。2017/12/27
Nobu A
14
教育実践家、大村はまをもっと知りたくて手に取った1冊。加えて、苅谷ご夫妻も。2003年初版、2020年第17刷。刷数が関心の高さを物語る。教育が学習者主体に移行して久しい。教師は教えるのではなく、学習者に寄り添い支援していくべきだという風潮は根強い。やはり、教師は教える存在だと思う。歴史的背景にも触れながら蔑ろにされてきた教師の本来の役割を説く。医学等の分野と同様に、教師と学生の非対称情報環境の中、自分を律して内省を続けるのは難しい。しかし、教えと学びが化学反応を起こし発生する知的刺激や興奮を共有したい。2020/09/07
isao_key
13
教師が生徒たちに教えるという作業を、もう一度きちんと考え、何ができるか、何をすべきか、または何をしなければならないかを鼎談を通して問い正している。50年以上にも及ぶ国語教師歴を持つ大村先生のことばや教え方通りに現代の教員は決してできるものではないが、生かすべき心構えは多い。「教師のもっともいい姿は、新鮮だということと謙虚だということ」共著者の苅谷剛彦は5章「教えることの復権をめざして」の中で、うまく学ぶことのできない生徒たちを何とか学ぶことができるように指導するのが教師の仕事だというが、その通りだと思う。2016/12/13