出版社内容情報
禅とは何か。また禅の現代的意義とは? 世界的な関心の中で見なおされる禅について、その真諦を解き明かす。
【解説: 秋月龍(みん) 】
内容説明
禅とは何か。悟りとは何か。禅の現代的意義とは?―今や、東洋だけにとどまらず世界的な関心のもとに見なおされている禅について、日本の誇る宗教家が、その真諦を平易かつ説得的に解き明かしつつ、ヨーロッパ世界へ向けて綴った英文論稿を新編集しておくる禅入門の名著。
目次
第1章 禅
第2章 悟り
第3章 禅の意味
第4章 禅と仏教一般との関係
第5章 禅指導の実際的方法
第6章 実存主義・実用主義と禅
第7章 愛と力
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
禿童子
33
「禅」を欧米に紹介した鈴木大拙の英語論文7本の日本語翻訳。仏教の素養がない人にも通じる表現を工夫しているので、私のような門外漢でもわかるかな、という期待は裏切られたが、これは著者と翻訳者の責任ではない。第四章『禅と仏教一般の関係』は、慧能の「まったく仏教を解さなかった」というショッキングな文章が目を引く。大拙の肉声「だが、自分は多くを言いすぎたようだ。そして"タタター"は、遠く無限の彼方に去ってしまった」の余韻が耳朶に残る。タタター(如)as-it-is-nessを手がかりに他の大拙の著作を読んでみたい。2020/11/06
ねこさん
24
大拙は、力と愛を対比させた。思うのは、一禅者が敢えて力、愛と名辞して語るそのことの切実さである。承認欲求、耽美、自己憐憫、嗜虐心や支配欲を満たすことには快楽性がかなり強くあり、それは過去への復讐だったりする。その意味において、他者への関与は加害である。人は自らの能動性、選択の不確かさ、意図し、意図せずやってくるものを思う時、穏やかではいられない。過去は被虐の歴史である。大拙はエックハルトを引用する。「神とわたしとは、わたしが神を覚知する行為において一つである」死ぬまで味わえる一句は、眼前にある。2019/06/10
小木ハム
23
難しい。そもそも禅は体験的に把握すべきもので、読書は文字から理解を試みる行為だから無理があるのだろう。しかし″匂い″は感じ取れそうです。ブルースリーやヨーダの『考えるな、感じろ』に近いのかな。本文にも″そう″や″そうでない″といった二元的、概念論には閉じ込められないものと口酸っぱく書かれている。あるがままの姿、個にして全、表裏一体ひとつなぎの宇宙、これを感ずるとき第三の目が開く。曰く禅とは『夜盗の術を習うようなもの』らしいのですが、この意味は皆目わからなかった。ナンノコッチャ。2020/01/17
ねこさん
19
毒矢の刺さっていないその人から、毒矢を抜くことはできない。対象化された事象の意味を求め、利害や欲求に照らし、相対的な納得を選択する安逸と苦悶に慣れきった思考からすれば、言語の破綻を弄ぶ遊戯にさえ見える禅者の問いはどう映るだろう。仮にその禅者たちのふるまいに他人事ではない何かを予感し、その問いかけを四六時中手放さないでいるには、相応の動機が必要だ。存在を脅かすほどの深刻さ。毒矢を抜くためにこれを貫き通すような生死に関わる試みが文化的に見えることもまた、大拙の言う仏教の持つ精神の運動とも言えるようで興味深い。2014/05/20
たー
16
ジョブズが禅にはまっていたということで、興味を抱いて読んでみた。元々外国人向けに書かれたもので分かりやすいが、やっぱり「禅問答」は理解不能。(理解しようという時点で禅の道から外れているのでしょうが…)2012/02/26