出版社内容情報
佐高信/宮崎学の激辛対談
「あえてその仮面を剥ぐ!」
もてはやされる「中坊公平」的民主主義がニッポンをダメにしている!
多数の顔をして少数を踏みにじろうとする人たち、あるいは
弱者の味方のふりをして権力のお先棒をかつぐ人たちへの闘争宣言
人権や民主主義を唱えていることで反権力の顔をした矮小な権力者たちを、佐高信や私はあまりにも多く見てきてしまった。本書は、そうした者たちへ天真爛漫の闘争宣言である。(宮崎学「あとがき」より)
まえがき(佐高信)
虚構に基づく日本社会の仕組みは、もう限界
佐高信/宮崎学
「突破者」の内側――やはり“アウト”にいないと商売にならない
佐高信/宮崎学
突破者と正義
佐高信/宮崎学
警察権力の強化もたらす盗聴法案を廃案に!
五十嵐二葉/海渡雄一/佐高信/宮崎学
平和と人権を捨てる創価学会
白川勝彦/佐高信/宮崎学
だから安田弁護士は狙われる
安田好弘/佐高信/宮崎学
ニッポンが熱狂する中坊公平的正義に抗うために
渋谷陽一(司会)/佐高信/宮崎学
石原慎太郎の人間性研究
辛淑玉/海渡雄一/佐高信/宮崎学
言葉の鉄人、大いに語る
大谷昭宏/佐高信/宮崎学
あとがき(宮崎学)
まえがき
十年に一冊出るか出ないかというほどの快著『突破者』(幻冬舎文庫)の著者、宮崎学はまた、グリコ・森永事件の犯人“キツネ目の男”と目されている。
奇(く)しくも、彼は私と同じ一九四五年生まれであり、敗戦のこの年の生まれには、男では『ナニワ金融道』の青木雄二や硬派ジャーナリストの大谷昭宏がいる。そして、女には、落合恵子、吉永小百合、アウン・サン・スー・チーがいるのである。まさしく“美女と野獣”の混在だが、五,六年前に知り合った宮崎とは、以来、盗聴法反対運動をはじめ、さまざまな形で共闘してきた。アウンの呼吸で、いちいち打ち合わせする必要はない。この本はそのアウンの呼吸の秘密の謎解きであり、多くの共闘者をまじえての奮戦記である。
宮崎流に言えば「ケンカの仕方」ということになるかもしれない。ケンカの相手は多数の顔をして少数を踏みにじろうとする人たちであり、あるいは弱者の味方のふりをして権力のお先棒をかついでしまう人たちである。
最初は確かに弱者の立場に立ちながら、いつのまにか、強者の用心棒になってしまった中坊公平がその象徴であり、そうした人たちへの闘争宣言という意味で、タイトルは『中坊公平的正義とは』とした。
中坊の“活躍”にただ拍手をするのではなく、“国民的英雄”の彼をもチェックする素材として読んでいただければ幸いである。
二〇〇一年四月五日 佐高 信
あとがき
佐高信は、天真爛漫(らんまん)をその特徴としている。この事を知る人は本当の佐高信を知る人と私は思う。
佐高信は、日頃の鋭い舌鋒(ぜっぽう)ゆえに、その行動や思考も緻密(ちみつ)に組み立てられていると思われがちなのであるがそうではない。
冷徹さと緻密さの対極にある熱い情熱と躊躇(ちゅうちょ)することのない行動への思いが、佐高信の本質である。
佐高信や私は強大な既成の秩序とそれを自由に謳歌(おうか)する官僚組織や資本と立ち向かう時、味方の側か敵の側かを峻別(しゅんべつ)する必要に迫られる時が多々ある。
中坊公平は、敵の側の人であった。
佐高信は、初期の段階でその天真爛漫さ故に中坊公平の評価を誤った。しかしその誤りを認めた時の佐高信の応答は評価されるべきである。
佐高信が中坊公平を否定していく過程こそ佐高信の真髄を垣間見ることのできるものと言えよう。それは、民衆への思いを基底としている。長いものにまかれて生きることを拒否すること、権力のもつ不条理に自然発生的に対抗しようとする熱き感性を佐高信が充満させている事の証明であった。
佐高信の存在はこの意味において貴重である。
人権や民主主義を唱えていることで反権力の顔をした矮小な権力者たちを、佐高信や私はあまりにも多く見てきてしまった。本書は、そうした者たちへ天真爛漫の闘争宣言である。
二〇〇一年四月吉日 宮崎 学
内容説明
多数の顔をして少数を踏みにじろうとする人たち、あるいは弱者の味方のふりをして権力のお先棒をかつぐ人たちへの闘争宣言。
目次
虚構に基づく日本社会の仕組みは、もう限界
「突破者」の内側―やはり“アウト”にいないと商売にならない…
突破者と正義
警察権力の強化もたらす盗聴法案を廃案に!
平和と人権を捨てる創価学会
だから安田弁護士は狙われる
ニッポンが熱狂する中坊公平的正義に抗うために
石原慎太郎の人間性研究
言葉の鉄人、大いに語る
著者等紹介
佐高信[サタカマコト]
1945年山形県生まれ。評論家
宮崎学[ミヤザキマナブ]
1945年京都府生まれ。作家
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。