NHKブックス<br> 現代民主主義の病理―戦後日本をどう見るか

NHKブックス
現代民主主義の病理―戦後日本をどう見るか

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  • サイズ B6判/ページ数 238p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784140017883
  • NDC分類 304
  • Cコード C1331

内容説明

社会を支えていたはずの政治・経済・教育・家庭といった基盤が、崩壊の危機に瀕している現代日本。アメリカが強く掲げ、戦後日本が導入した「デモクラシー」とは、壮大なるフィクションだったのであろうか。敗戦から半世紀、わたしたちは「戦後民主主義」の名のもとに、「自由」「平等」という言葉の内に潜む危うさを意識的に回避してきたのではなかったのか。社会に「共有の価値」が失われたとき、「自由なる個人」は、一体どこへ行くのか。経済思想、社会思想の研究から現代文明批判、社会批判へと展開を広げる著者が、現代日本の病理を描き、戦後民主主義五十年の大いなる錯誤を突く。

目次

序 無魂無才の不幸―日本人の「精神」はどこへ
1 戦後五十年、アメリカ化の五十年
2 「西欧文明」と日本の知識人たち―戦後思想と丸山真男
3 デモクラシーは「責任」をとれるか―不透明な時代の責任論
4 サブカルチャー化する現代日本
5 「市民社会」の崩壊
終 「信頼」と民主主義

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ヴェルナーの日記

104
戦後日本の政治体制の根幹をなす民主主義(日本型とあえて定義する)を解析・思考し、その弊害を書き連ねた1冊。6章に分け、第1章ではアメリカナイズされ日本を観る。大量生産・大量消費といった市場経済の世の中を省みる。第2章では、そうした世情を俗にいう知識人たちはどのように認識しているかを論考。第3章では”デモクラシー”の思想まで掘り下げ『責任論』の話を持ち出す。いわゆる"自己責任"と呼ばれるもので日本国民が、これをどのくらいのレベルまで浸透しているのかを問う。そしてエリーティズムとポピュリズムの対比を思考。2016/06/28

メガネ

13
信頼ってどこで繋ぎ止めるのでしょうか。振る舞いが崩れてきてるならどうするのでしょうか。匿名の個人の氾濫というやつでしょうか。2015/05/14

Shin

4
図書館本。1997年に書かれていて、オウムや住専の話題が時代を感じさせるが、マスコミが「報道の自由」をタテに恣意的に作り出す世論によって、デモクラシーそのものが無自覚的に自己崩壊を来しているという指摘は、今もなお正当だろうし、病状はより悪化しつつある。そういう論点のひとつひとつには考えさせられるものはあるけど、論点が多すぎて全体としてはボヤけた感じかな。丸山真男を批判した返す刀で大衆批判をやってみるなど、手当たり次第に全部批判しているうちに何が言いたいのか分からなくなった、というのが正直な読後感。2011/09/23

naokovski

3
これを20世紀に書いていたのだと思うと、現在に至るまでの氏の思想の一貫性あるいは先見の明は確かだと実感。しかしこの人はあくまでも学者であって、現代社会における諸事象のジャーナリスティックな記述に関してはいまいち論理性、整合性に欠ける部分も。さらにのらりくらりと主張の根幹を隠す筆致は、もしかするとシュトラウス的政治哲学への系譜にコミットメントなのかも。本質を守らんがために頑なに本質を曖昧に論じる様は、民主主義と民衆に対する深い懐疑と、それでもなお捨て去れぬ時代を切り開く新しい思想への期待とが混在している。2010/10/11

call

2
日本の民主主義を無魂無才とし、魂の回復という点で問題意識を持った本。第一に米国的民主主義の表層を取り入れた日本において米国らしさの相対化を求めている。第二に日本の進歩的文化人の、日本人であり日本人の外部にいようとする曖昧さを指摘する。第三に日本型システムにおける無責任体制、第四にエンタメとして消費される民主主義を述べている。第五にニーチェを引き、市民社会の自己破壊本能を述べ、民主主義にとって信頼が必要なものだとしている。97年に書かれた本だが、現在の日本においても十分に通用する内容だと思った。2017/07/02

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