内容説明
女帝エカテリーナの命により特使ラクスマンに伴われて大黒屋光太夫が帰還した。ロシア漂流・抑留民として初めての生還であった。これよりロシアによる通商交渉は頻繁になり、北の黒船の出没に対する幕府の北方警護と、これに因む蝦夷地の領土化が急速に推し進められた。本書は、多くの漂流・抑留民の事蹟と、その送還を契機に、日本との通商関係樹立を画策するロシアの行動をとおして、江戸の時代における日露交渉の実態をさぐる。
目次
第1章 ロシアと日本の接触の初め
第2章 ロシア人の日本への接近
第3章 日露最初の会談
第4章 日露交渉の破綻
第5章 日露関係の緊張
第6章 日露関係の鎮静化
第7章 日本開国への道
第8章 日本の開国と日露国境の画定
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
isao_key
6
本書は漂流者を通してロシアと日本の通商関係を1697年から1875年の樺太・千島交換条約までをまとめたものである。ロシアの日本語学校は1736年科学アカデミーに付設された。このときの教師は宗蔵と権蔵である。権蔵は1738年に『露日辞典』を作る。これが世界最初の露日辞典だった。だが権蔵は、10歳で日本を離れ日本語の読み書きもろくにできず、言葉も薩摩方言しか知らなかった。そのため厳密に言えば『露薩辞典』だった。だが当時の薩摩方言をしるのに貴重な資料になっている。この学校は経費不足のため1816年に閉鎖される。2014/07/31
えすてい
4
21世紀になっても江戸時代の鎖国史観は容易に脱却できないでいる。鎖国が国法と正式に認められたのは19世紀の初めである。一方で、18世紀からロシアの進出と脅威が迫りつつある中で対応が後手後手だった幕府・松前藩の対応は、結果課的に「鎖国は国法」となる後押しになってしまったとも言えよう。漂流民と言えば遠い海洋をはるばる流されたというケースもあるが、ロシア関連漂流では千島列島に流され現在の道東や北方領土に帰着したというケースも少なくないことが分かる。島伝いに「帰国」した例もあるほど。それほど、「ロシアは近い」。2018/01/16
えすてい
4
江戸時代の鎖国に関する一般論を廃し、漂流民送還と通商・日露間国境策定を求めるロシア船来航が「鎖国」をもたらしたと分析。鎖国が日本の国法となったのは19世紀のレザノフ来航を単に発するとしているが、ケンペルの著書から逆輸入された「鎖国」については完全に触れずじまいなのは残念。一方で、江戸時代本書に掲載されているだけの日本人がロシアの土を踏んでいるのは読んでいるだけで壮大なイメージを連想させてくれる。記録に残っていない人もいるはずだが彼らを含めると相当数の日本人が「外国」に足を残していたことだろう。
takao
3
ふむ2024/05/02
志村真幸
1
著者はロシア史・日露交渉史の研究者。 本書は、江戸期のロシアへの漂流民について、事件ごとに紹介したもの。遭難者の氏名、遭難の過程、ロシアに漂着してのちのルート、帰国にまつわる交渉など、だいたいのことがわかるようになっている。 そして、帰国にまつわる交渉からは幕府の対外政策が見え、非情に興味深い。 1991年の出版と少し古い本だが、ざっと全体的に知るにはいまでも充分に有用だと思う。 2018/01/03