出版社内容情報
『純粋理性批判』『実践理性批判』につづく第三批判として知られるカントの主著.カントは理性と悟性の中間能力たる判断力の分析を通じて自然の合目的性の概念と普遍的な快の感情の発見に到達し,自然界と自由界の橋渡しを可能にするこの原理を確認して壮大な批判哲学の体系を完成した.
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
gtn
26
「ゴッホより普通にラッセンが好き」とのフレーズがある。「美学的判断というのは、判断の規定根拠が主観的なものでしかあり得ない」とのカントの哲学と通奏低音する。一方、主観的と言いつつ、普遍妥当性が伴うというのは矛盾するとのカントへの非難があるが、それは当たらない。本書を読む限り、カントは共感を求めているだけである。おいしいラーメン屋があれば、友達に教えてあげたいと思うのが自然ではないか。2023/08/26
Bartleby
22
ある光景に出会い、その美しさに心を打たれる。そうした「美」を概念的・客観的に規定することはできない。ならばその「美」は主観的で個人的な感覚に過ぎないのだろうか。『判断力批判』(特にその上巻で)のカントが探求するのは、美的判断が主観的でありながらもある種の普遍性を獲得する可能性だ。こうした可能性の探求にカントがどこまで成功しているか、それは意見が分かれそうだが、そうした苦闘のなかで彼が提出している諸概念は、語ることが難しいわれわれの美的経験にある面から光を当ててくれるものとしてどれも非常に魅力的だ。2016/01/05
壱萬弐仟縁
17
1790年初出。 書名だけでは、美についても書かれているとは想定できなかった。 純粋理性とは、ア・プリオリな原理にもとづいて認識する能力(13頁)。 心的能力或は素質的能力は、認識能力、快・不快の感情、欲求能力(傍点、32頁)。 判断力批判は、美学的(傍点)判断力の批判と 目的論的(傍点)判断力の批判とに区分(60頁)。 美とは概念を用いずに 普遍的(傍点)適意の対象として表象されるところのもの(84頁)。 美には自由美か付属美がある(116頁)。 2014/03/26
しんすけ
6
崇高の分析論の最後に下記挿話がある。 ある商人が、自分の全財産を商品に換えてインドからヨーロッパへ帰航の途中で大時化に会い、持物を一つ残らず海中に投ぜざるを得なかった、そして痛恨の余り、彼の被っていた鬘が一夜にして白髪になった。 この話は、大きな哄笑を聴衆に生じさせるというのである。 カントは話の機転性を語るためにこの挿話を取り上げているのだが、ぼくには哄笑を生じさせるためには聴き手側の知識と精神の成長が必要に思えてならない。2018/10/17
しんすけ
6
美の評価や趣味に関しても規則が存在すということなのだろうか。 ぼくのような気が弱くて団体生活に馴染めない者は、人と同じ趣味を持つということに違和感がある。 だから趣味の一般規則なんてものは頭の片隅にも生じないもの、と思うこともある。 だが、カントは下記のような表現をする。 /すべての人が感覚に普遍的に与り得るということは、対象が人間に与える形式の判定における一致という経験的に記された表象にほかかならない。/ p1212018/10/05