出版社内容情報
明治四十年東京を西に去ること三里,一反五畝の土地に,壁は落ち放題,雨戸は反り屋根藁は半腐り,ちょっと降ると室内にも黄色い雨が降るばかりか,ときに青大将が落ちてくる草葺の家.井戸をさらえ,肥桶を担ぐ「美的百姓」の始まりである.作者の前をよぎる人々,武蔵野の風物を骨太な筆でとらえた随想集. (解説 中野好夫)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬弐仟縁
15
「都落ちの手帳から」で、 「田舎を都にひけらかすと共に、 東京を田舎にひけらかす前に先ず 田舎を田舎にひけらかした」(53頁)。 なんとも気になる叙述。 現代では、東京のために田舎は従属しているが。 「愉快は努力に、生命は希望にある。幸福は 心の貧しきにある。感謝は物の乏しきにある」(55頁)。 幸せって何なのか、問われている気がする箇所。 「草葉のささやき」で、 トルストイ(右線付)と云う様な偉大な名は、 世界の目標です(113頁)。 兄徳富蘇峰をも想起した。 雅号蘆花(下巻226-7頁)。 2014/04/11
白檀薫る
4
再読。『わが有になった家のあまりの不潔さに胸をついた』『風が吹く、土が飛ぶ、霜が冴える、水が荒い。4拍子揃って、妻の手足は直ぐ皸、霜やけ、あかぎれに飾られる。』 田舎暮らしを、家の手入れを入れずに寒さ厳しい2月末から始めるなんて無謀だと思うけど、それさえも楽しんでいる様子。田舎の人間関係もかなり強烈。そんな中で「碧の花」では「自然と人生」のような美文でお気に入りの碧い花を綴っている。やはり蘆花の色彩感覚溢れる自然や植物の繊細な描写は、鷹揚な田舎暮らしを綴る中でまた味わい深い。2019/07/06
勝浩1958
2
黒岩比佐子著『パンとペン』にこういうくだりがある。<堺(利彦)の雅号廃止は平民社をめぐる人々はもちろん、文壇人にも注意を呼び起こした。徳富蘆花も雅号を廃して「健次郎」と本名で署名するようになったが、これは堺の影響だと本人が断っているのを、秀湖は何かの雑誌で読んだという。> これで、なぜこの『みみずのたはこと』の作者名が蘆花ではなく、健次郎になっているかが分かったのである。 自称美的百姓の生活は質朴にしてたぶんに魅かれるものがある。2011/03/21
狐
1
実際に粕谷を訪れてみたいけど、当時とはかなり様子は変わってしまっているだろうしなぁ…2014/08/25