アメリカの挫折 - 「ベトナム戦争」前史としてのラオス紛争

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アメリカの挫折 - 「ベトナム戦争」前史としてのラオス紛争

  • 著者名:寺地功次
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  • めこん(2021/09発売)
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  • ISBN:9784839603274

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内容説明

アメリカはなぜ小国ラオスに手を出したのか? アフガニスタンでの失敗の原点はここにある。
膨大な軍事援助をつぎ込み、政治に干渉し、信じられないほどの量の爆弾を投下して、多くの人を殺傷し、結局、反共産政府の確保という目的に失敗。この失敗はその後アメリカが経験するベトナムでの挫折の前触れとなった。
アイゼンハワーは、ケネディは、どこで間違ったのか、なぜ間違ったのか。
膨大な政府文書の分析を軸に、アメリカのラオスにおける挫折の歴史を再現。
その後のアメリカのイラクやアフガニスタンへのコミットメントを考察する上での格好のテキストであり、またヴェールに包まれていた1950~60年代のラオス現代史が明らかになるなど、さまざまな視点から読むことができる大著です。

目次

序章

第1章 第1次インドシナ戦争とアメリカによるラオス介入の起源
第1節 第2次世界大戦後のラオス情勢とアメリカ
1. 戦後初期のアメリカの東南アジア政策
2. ラオ・イサラとフランスのラオス再占領
3. ラオ・イサラ亡命政府とスパーヌウォン
4. 1949年フランス・ラオス一般協定
第2節 中国とアメリカのインドシナ政策
1. 中国によるベトミン支援の開始
2. アメリカのアジア政策とインドシナ
3. アメリカの「ラオス王国」承認とインドシナ援助
第3節 1950年以降のラオス情勢とパテート・ラーオ
1. ネーオ・ラーオ・イサラの発足
2. ベトミンとパテート・ラーオ
3. ベトミン軍による「国境作戦」と「北西部作戦」
第4節 朝鮮戦争勃発後のアメリカの東南アジア政策とラオス
1. インドシナ援助の開始とNSC 48/5、NSC 124/2
2. 「平穏なラオス」
第5節 1953年のベトミン軍のラオス侵攻
1. ベトミン軍のラオス侵攻とアメリカの対応
2. インドシナ援助の増大と「ラオス要因」
3. ベトミン軍のラオス再侵攻

第2章 1954年ジュネーブ会議とアメリカの対ラオス政策
第1節 ジュネーブ会議前のアメリカのインドシナ政策
1. NSC 5405と「秘密作戦」、「国内的安全保障」
2. インドシナ軍事介入論争と現地軍の育成、「国内的安全保障」
3. ディエン・ビエン・フー危機と「統一行動」
4. 東南アジアにおける集団防衛体制の模索
第2節 ジュネーブ会議におけるアメリカの政策
1. ジュネーブ会議参加国をめぐる問題
2. ジュネーブ会議とラオス・カンボジア問題
3. ラオス・カンボジア問題の切り離しと外国軍撤退
4. 米英7原則と東南アジア集団防衛体制
第3節 ジュネーブ合意の成立とラオス
1. 仏軍基地、パテート・ラーオ「再集結地域」をめぐる対立
2. ダレス、マンデス=フランス、イーデン会談
3. ジュネーブにおける最終合意
第4節 ジュネーブ合意に対する評価
1. ラオスに関するジュネーブ合意
2. ラオス国内の反応
3. アメリカの反応
第5節 マニラ条約と東南アジア条約機構(SEATO)の発足
1. 米英合同研究グループと多国間協議の開始
2. マニラ条約の成立

第3章 1954年ジュネーブ会議後のアメリカの対ラオス援助体制の構築
第1節 アメリカによる対ラオス直接援助の開始
1. 直接援助の提案
2. ラオス国内情勢
3. カントリー・チームの始動
第2節 王国政府との協議とアメリカの軍事援助
1. 対ラオス軍事援助に対するJCSの留保
2. ヨスト公使の王国政府との協議とアメリカの圧力
3. 「緩衝地帯」としてのラオスとNSC 5429/5
4. 王国軍兵力レベルと対ラオス軍事援助の決定
第3節 王国政府=パテート・ラーオ交渉とアメリカの反対
1. 王国政府=パテート・ラーオ交渉をめぐるアメリカの圧力
2. ダレスのラオス訪問
第4節 王国政府=パテート・ラーオ交渉の決裂
1. バンドン会議と王国政府
2. 交渉の決裂
第5節 自主防衛計画と「計画評価局」(PEO)
1. ラオス警察・憲兵隊の増強
2. 自主防衛計画の開始
3. PEOの設置
4. タイ・ラオス軍事協力

第4章 1955年選挙とアメリカの干渉
第1節 情報宣伝活動とラオス政治家への支援
1. 情報宣伝活動
2. 国民戦線形成とアメリカの資金援助
第2節 アメリカによる経済的救援活動と情報宣伝活動
1. 6カ月行動計画と経済的救援活動
2. 選挙直前の情報宣伝活動
第3節 1955年選挙の結果
1. アメリカによる選挙干渉と民主主義
2. 「ラオス愛国戦線」(NLHX)の発足
第4節 1955年選挙後のアメリカの対ラオス援助政策
1. 軍事援助の拡大と自主防衛軍の増強
2. NSC 5612/1とラオス作戦計画

第5章 アメリカによるパテート・ラーオとの合意への反対と国内的安全保障
第1節 スワンナプーマーの交渉路線とアメリカの反対
1. 1956年8月スワンナプーマー=パテート・ラーオ予備合意とアメリカの圧力
2. 王国政府指導者の北京訪問
3. 1956年12月スワンナプーマー=パテート・ラーオ暫定合意とアメリカの対応
第2節 アメリカによる民生援助計画、友愛作戦と選挙対策
1. 民生援助計画と30万ドル緊急援助
2. 友愛作戦
3. ラオス作戦計画の立案
第3節 1957年政治危機とスワンナプーマー=パテート・ラーオ最終合意
1. 暫定合意後の政治危機
2. 第3次スワンナプーマー内閣の成立
3. 1957年11月スワンナプーマー=パテート・ラーオ最終合意

第6章 1958年補完選挙とアメリカの干渉
第1節 アメリカの政策転換と補完選挙対策
1. 国内的安全保障とスワンナプーマー政府との協力
2. パーソンズ提案と50万ドル特別資金援助計画
第2節 アメリカによる選挙干渉の実態
1. 国民戦線の形成と候補者への資金援助
2. ブースターショット作戦
第3節 1958年補完選挙の結果

第7章 1958年補完選挙後のラオス内政とアメリカの干渉
第1節 補完選挙後のラオスとアメリカ
1. 「ラオス人民連合」(RPL)設立とアメリカの圧力
2. 「国益防衛委員会」(CDNI)設立とアメリカの支援
3. 「活発な政治勢力」としての王国軍
第2節 プイ・サナニコーン政府とアメリカの関与・圧力
1. プイ・サナニコーン政府の発足とアメリカの圧力
2. アメリカの援助をめぐる不正・腐敗と通貨改革
3. 民生援助計画の拡大
4. PEOの増員・権限拡大と王国軍訓練への参加
第3節 深まる危機
1. 1NLHX排除とプイ政府の対外政策
2. プイ首相への特別権限委任――「砲火を浴びる民主主義」
3. ハノイ、ヴィエンチャンとジュネーブ合意の形骸化
4. プイの苦境とアメリカのジレンマ
第4節 転換点としての1958年

第8章 1959年危機と軍部・CDNIクーデター、1960年選挙
第1節 1959年危機の発生
1. 王国軍=パテート・ラーオ軍統合の失敗
2. 王国軍=パテート・ラーオ軍の衝突
3. 国連安保理事会小委員会のラオス派遣
第2節 1959年危機へのアメリカの対応
1. 王国軍・自主防衛軍の増強
2. 米軍派遣の提案とラオス非常事態計画
第3節 軍部・CDNIの1959年12月軍事クーデター
1. 軍部・CDNI支持をめぐる米政府内の対立
2. クーデター直前のワシントンの政策変更
3. 1959年12月軍事クーデター
第4節 1960年選挙とアメリカ
1. クー・アパイ暫定政府の発足
2. 1960年選挙に対するアメリカの政策
3. 1960年選挙の結果
第5節 「赤の殿下」スパーヌウォン逃走とソムサニット政府の成立
1. 米英仏豪4カ国による圧力
2. スパーヌウォン逃走事件

第9章 ラオス内戦とアメリカ――1960年コンレー・クーデターと本格的内戦の開始
第1節 1960年8月、コンレーの軍事クーデター
1. コンレー・クーデターの発生
2. コンレーとプーミー・ノーサワン
3. ソムサニット内閣辞職とスワンナプーマーの復活
第2節 スワンナプーマー政府=プーミー=ブンウム派の対立とアメリカの対応
1. コンレー・クーデター直後のアメリカの政策
2. スワンナプーマー政府の成立とプーミー=ブンウム派の離反
3. プーミー=ブンウム派の「反クーデター革命委員会」
第3節 アメリカによるプーミー=ブンウム派への軍事的財政的支援
1. ワシントン=ヴィエンチャンの意見対立
2. プーミー=ブンウム派への全面的支援と国王への働きかけ
3. パーソンズ特別使節団のラオス訪問とソ連
4. スワンナプーマーとの「便宜的」協力からスワンナプーマー排除へ
第4節 ヴィエンチャンの戦闘とプーミー=ブンウム「暫定政府」支持
1. プーミー軍によるヴィエンチャン侵攻作戦へのアメリカの全面的支援
2. ヴィエンチャンの戦闘とソ連による軍事援助の開始
3. アメリカのプーミー=ブンウム「暫定政府」支持

第10章 ケネディ政権の登場とラオス軍事介入計画
第1節 アイゼンハワー政権とケネディ政権の軍事介入計画・政治交渉路線
1. アイゼンハワー政権からケネディ政権へ
2. 王国軍への軍事支援拡大(NSAM 29)と政治的解決の模索
第2節 キーウェスト会談、米英軍事介入計画とSEATOプラン5
1. ケネディ大統領のテレビ会見――政治的解決と軍事的解決
2. ケネディ=マクミランのキーウェスト会談
3. SEATOプラン5と米英軍事介入計画の立案
第3節 ケネディ政権のラオス軍事介入論争
1. 錯綜する軍事介入論争
2. ピッグズ湾事件

第11章 1962年ラオス「中立化」の成立とアメリカ
第1節 ラオス「中立化」交渉の開始
1. ジュネーブ会議の開催
2. プーミー訪米
3. 1961年8月米英仏パリ合意とスワンナプーマー首相支持
第2節 プーミーへの「圧力」と交渉の行き詰まり
1. ハリマンのプーミー評価
2. 米政府内の意見対立とハリマン
3. 「感謝祭の虐殺」
4. プーミーへの「圧力」と懐柔策
第3節 スワンナプーマーとの「直接交渉」路線への転換
1. ナムターの衝突とスワンナプーマーとの「直接交渉」
2. ハリマンの脅しと「軍事制裁」の検討
3. 「軍事制裁」の決定
第4節 ナムター陥落とラオス「中立化」の成立
1. ナムター陥落
2. ラオス「中立化」の成立
3. アメリカの政策の限界と挫折

第12章 ラオス「中立化」の崩壊と第2次インドシナ戦争
第1節 ラオス「中立化」の形骸化
1. 「国家統一暫定政府」の実質的崩壊
2. アメリカ「撤退」のための「中立化」とその代償
第2節 アメリカによるラオス偵察飛行と報復爆撃
1. ケネディ政権のラオス非常事態計画
2. 1964年「4月危機」とアメリカによる間接爆撃・偵察飛行の開始
3. 1964年6月、アメリカによるラオス報復爆撃
第3節 アメリカによるラオス空爆の本格化と第2次インドシナ戦争
1. トライアングル作戦 452
2. ホー・チ・ミン・ルートに対する「侵攻阻止爆撃」
3. バレル・ロール作戦と継続的空爆の本格化

終章
あとがき
参考文献

感想・レビュー

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BLACK無糖好き

20
第二次大戦後のインドシナへのアメリカの介入、ラオスの「中立化」に至るまでの関与、その後の武力介入〜ベトナム戦争への流れの中で、アメリカの政府関係者の思考や政策実態がどのように推移したのかを体系的に分析している。アメリカは、ラオスにおいてベトミンが支援する左派勢力パテート・ラーオを排除し、西側指向の反共主義的政府の成立を目指し、大量の軍事援助や政治的介入を行ったが上手くいかなかった。◇アメリカの本格的軍事介入が1965年との、ウエスタッド含め従来のベトナム戦争研究の見方に対し、1964年が転換点と指摘。2022/05/25

Go Extreme

1
第1次インドシナ戦争とアメリカによるラオス介入の起源 第2次世界大戦後のラオス情勢とアメリカ 1954年ジュネーブ会議とアメリカの対ラオス政策 1954年アメリカの対ラオス援助体制の構築 1955年選挙とアメリカの干渉 1958年補完選挙とアメリカの干渉 1958年補完選挙後のラオス内政とアメリカの干渉 1959年危機と軍部・CDNIクーデター、1960年選挙 ラオス内戦とアメリカ ケネディ政権の登場とラオス軍事介入計画 1962年ラオス中立化の成立とアメリカ ラオス中立化の崩壊と第2次インドシナ戦争2021/11/12

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