▼じんぶんや
▼じんぶんや リターンズ
じんぶんや第1講
じんぶんや第2講
じんぶんや第3講
じんぶんや第4講
じんぶんや第5講
じんぶんや第6講
じんぶんや第7講
じんぶんや第8講
じんぶんや第9講
じんぶんや第10講
じんぶんや第11講
じんぶんや第12講
じんぶんや第13講
じんぶんや第14講
じんぶんや第15講
じんぶんや第16講
じんぶんや第17講
じんぶんや第18講
じんぶんや第19講
じんぶんや第20講
じんぶんや第21講
じんぶんや第22講
じんぶんや第23講
じんぶんや第24講
じんぶんや第25講
じんぶんや第26講
じんぶんや第27講
じんぶんや第28講
じんぶんや第29講
じんぶんや第30講
じんぶんや第31講
じんぶんや第32講
じんぶんや第33講
じんぶんや第34講
じんぶんや第35講
じんぶんや第36講
じんぶんや第37講
じんぶんや第38講
じんぶんや第39講
じんぶんや第40講
じんぶんや第41講
第
二 十 六
講
宇 南 山 知 人
選
大 江 戸 見 聞 録
── 現 代 に つ づ く 江 戸 の 日 常 生 活
▼
テーマをクリック! 関連書籍リストに
リンク
しています。
■
トップページ
■
宇南山知人さんエッセイ
■
いま、江戸がおもしろい
■
お知らせ
■
宇南山知人さんが選んだ本
■
江戸文化歴史検定模擬試験
★
じんぶんやバックナンバー
【問1】TV時代劇「暴れん坊将軍」で有名な8代将軍・徳川吉宗に重用され、町奉行として活躍した人物は次のうち、誰でしょう?
い)遠山左衛門尉景元(さえもんのじょうかげもと)
ろ)大岡越前守忠相(えちぜんのかみただすけ)
は)中村主水(もんど)
に)長谷川平蔵宣以(へいぞうのぶため)
【正答と解説】
正解:ろ
大岡越前は18世紀前半、伊勢山田奉行在任中に吉宗の目に留まり、南町奉行に抜擢される。町火消いろは47の創設・小石川養生所の開設・享保の改革などで19年間という異例の長期にわたって活躍(町奉行の任期は普通は5〜6年)。のちに寺社奉行に昇進して加増され、大名の列に加わった。遠山景元は「遠山の金さん」として有名。刺青判官と呼ばれて庶民の人気を博した19世紀中頃の北町奉行。のちに大目付を経て南町奉行となる。長谷川平蔵は「鬼平犯科帳」で有名。18世紀後半の火付盗賊改役。中村主水は「必殺」シリーズの主人公。北町、のちに南町奉行所同心という設定だが、架空の人物。
【問2】江戸に住む人がかかるといわれた「江戸わずらい」とは、どんな病気でしょう?
い)運動不足が原因とされる「糖尿病」
ろ)白米を食べることによるビタミン不足でかかる「脚気」
は)5代将軍・徳川綱吉の死因ともいわれる「はしか」
に)国許から単身赴任した下級武士などがかかる「ホームシック」
【正答と解説】
正解:ろ
江戸では庶民にいたるまで白米を食べていた。米糠にはビタミンB1が豊富に含まれるが、江戸時代にはおかずをあまり摂らなかったので、白米を食べる江戸ではビタミンB1不足でおこる脚気の患者が多く、「江戸わずらい」と呼ばれた。「江戸病み」ともいう。ちなみに、脚気の原因を最初に突き止めたのは、明治時代の海軍軍医で慈恵医大の創設者・高木兼寛(かねひろ)。これにより、日本海軍は世界に先駆けて船乗りの宿命とされた脚気の撲滅に成功した。
【問3】江戸時代の庶民の起床は、明け六つ、およそ日の出の頃でした。「お江戸日本橋七つ立ち」という歌がありますが、この七つとは、今の時刻では何時ごろでしょう? 春分の日を想定してお答えください。
い)午前4時頃
ろ)午前5時頃
は)午前6時頃
に)午前7時頃
【正答と解説】
正解:い
江戸時代は不定時法。日の出を明け六つ、日の入りを暮れ六つとして昼夜をそれぞれ6等分して一刻とする。つまり夏は昼の一刻が長く、冬は夜の一刻が長い。時刻は深夜12時を九つとし、以後四つまで数を減らす形で数える。四つの次、つまり正午12時はまた九つ。ここから午後2時から午後4時の間、3時ごろに食べる間食を「お八つ」というようになった。また、数が四つより減らないのは、時刻を知らせる「時の鐘」を突く際に、「捨て鐘」といって「これから時刻を知らせますよ」という意味でまず3回突いたから。ちなみに、なぜ「七つ」などという早朝に出発したかといえば、できるだけ旅程を稼ぐためと、大名行列に出くわして足止めを食うのを嫌ったためといわれる。
【問4】歌舞伎十八番「助六(すけろく)由縁(ゆかりの)江戸桜(えどざくら)」のヒロインの名を洒落た芝居弁当「助六寿司」は、江戸時代に生まれ、現在はコンビニでも売っています。その中身はなんでしょう?
い)茶巾寿司と巻き寿司のセット
ろ)稲荷寿司と巻き寿司のセット
は)巻き寿司と卵焼きのセット
に)太巻き寿司と押し寿司のセット
【正答と解説】
正解:ろ
「助六」のヒロインは吉原・三浦屋の遊女「揚巻(あげまき)」。揚げ=油揚げ=稲荷寿司、巻き=巻き寿司という駄洒落。ちなみに、歌舞伎十八番とは19世紀半ばに一世を風靡した7代目・市川団十郎が市川家のお家芸としてまとめたもの。「鳴神(なるかみ)」「暫(しばらく)」「勧進帳(かんじんちょう)」など、現代でも人気の演目が多い。
【問5】大都市・江戸近郊では下肥(しもごえ)を用いた野菜栽培が盛んで、神田・千住・駒込の三大やっちゃば(青果市場)が繁栄しました。では、次のうち、江戸時代にはなかった野菜はどれでしょう?
い)練馬大根
ろ)谷中しょうが
は)小松菜
に)深谷ねぎ
【正答と解説】
正解:に
深谷ねぎは大正時代に鉄道が引かれ、深谷から東京への野菜の出荷が増えたことで栽培が広まった。ちなみに、小松菜の「小松」は小松川流域が栽培地だったから。
【問6】「生類憐みの令」で知られる5代将軍・徳川綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれました。では、15代将軍・慶喜はなんと呼ばれたでしょう?
い)精力が強かったことから「あらびや馬」
ろ)豚肉を好んだことから「豚一(ぶたいち)」
は)頑固だったことから「赤牛」
に)大酒飲みだったことから「鯨海(げいかい)」
【正答と解説】
正解:ろ
慶喜は徳川御三家の水戸から御三卿の一橋に養子入りしたのちに将軍となった。豚一の「一」は一橋をさす。弓道・写真・狩猟など多芸多彩な人物で、牛乳や豚肉を好むなど、進取の気性に富んでいた。ちなみに、大政奉還により、慶喜の任期は歴代将軍最短のわずか1年。
【問7】江戸詰の藩士が着ていた羽織の裏は浅葱木綿が多かったため、吉原などでは藩士たちをさして「浅葱裏」と呼んだといいます。では、この「浅葱裏」とはどういう意味でしょう?
い)貧乏人
ろ)粋なヤツ
は)見栄っ張り
に)野暮なヤツ
【正答と解説】
正解:に
着物の表地は地味に抑え、裏地に凝るのが江戸っ子の粋。吉原などの悪所ではとくに粋が貴ばれた。一方、浅葱木綿は色褪せせず汚れが目立たないことから、参勤交代などで長旅をする、単身赴任の諸藩の武士に重宝がられた。着たきりスズメの藩士たちは、悪所では野暮で田舎臭いとして馬鹿にされた。
【問8】新興都市・江戸に働きにやってくるのは男性が多く、町人の人口構成比率でも男性が多くを占めました。幕末には男女ほぼ同数となりますが、江戸中期の男女比に近いのは、次のうちどれでしょう?
い)男85%、女15%
ろ)男75%、女25%
は)男65%、女35%
に)男55%、女45%
【正答と解説】
正解:は
鰻の蒲焼・蕎麦・天麩羅・握り寿司など、現在に続く多くの外食産業が江戸時代に誕生し、盛んになった。これは庶民は出稼ぎの肉体労働者、武士は国許から派遣された単身赴任者と、いずれも男性が多く、いきおい外食比率が高かったため。
【問9】江戸川柳に「深川のふみには□文添えてやり」というものがあります。深川のふみとは、深川の遊女が馴染み客に渡す手紙のことです。□文(銭の値段)の□には、次のどの数字がはいるでしょう?
い)一
ろ)二
は)五
に)九
【正答と解説】
正解:ろ
現在の江東区・深川は、江戸開府当事に深川八郎右衛門が江戸湾の湿地を埋め立てて造った土地。木場が近く、富岡八幡宮の門前町としても賑わったため、花街が栄えた。掘割が多く、多くの客が舟で通ったので、遊女はまた来てくれとの意味をこめ、往復の舟賃にと手紙に二文を添えたという。ちなみに、深川の芸者は、当時は男しか着なかった羽織を着て「○奴」「○弥」「○太」といった男名前を名乗り、江戸っ子気質が強かったことから、「羽織芸者」と呼ばれて人気が高かった。深川が江戸城から見て辰巳の方角にあることから「辰巳芸者」とも言われる。
【問10】江戸の商家の屋号は、尾張屋、備前屋など出身地を名乗ることが多いようです。では、江戸一番の呉服屋で、現在の三越百貨店のもとである三井越後屋の出身地はどこでしょう?
い)近江
ろ)伊勢
は)京都
に)越後
【正答と解説】
正解:ろ
「越後屋」の名は先祖に「越後守(えちごのかみ)」を名乗った人がいたためとされ、越後とはとくに関係はない。江戸の商家には伊勢に本店を持つものが多く、「江戸名物、伊勢屋、稲荷に、犬の糞」といわれたほど。
Copyright by KINOKUNIYA COMPANY LTD.