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「引きこもりなんてないよ」まで
2年前になるのかな「引きこもるという情熱」という本を出したんですね。その時から自分のなかで漠然としたイメージはできていたと思います。一般的に言われている「社会的引きこもり」という視点に対する疑念があって、それをどんなふうに言葉にしていったらいいのかなという思いがありました。
今ははっきりしていて、「社会的引きこもり」から「存在論的引きこもり」へというモチーフです。
「存在論的引きこもり」というのは難しいことではなくて、社会的な場面での挫折というのは、存在論的な危機感と結びついている――つまり、その人の「存在」自体が危うくなったり、壊れそうになったり、傷つきそうになったことと、社会的な挫折とは対応しているのではないか。存在論的な危機感が本質であって、社会的な挫折はあくまで現象でしかないのではないかと考える視点です。
社会的な挫折だけが問題になってしまっていて、ご本人たちは、なぜ閉じこもり、引きこもっていくのかという視点がないし、なぜ再び社会に出て行く意欲が生まれ、社会に出て行くのかという視点もまた、ないような気がするんです。
存在論的な部分で傷ついてしまったり、社会や人に対する恐怖感を覚えてしまったりしたことによる、存在論的な欠如とか、崩壊とか、揺れとかが、少しずつ修復されていくことを通してしか、対人の場や社会の場に戻っていくことは難しいのではないかと思います。
「存在論的引きこもり」という視点を出して、そこで見ていくならば、引きこもるということ自体、当事者にとって必然というか、避けられないことではないかと思います。最終的には「引きこもりなんてないよ」と言いたいわけです。そこまで議論を持っていくためのステップとしても、「社会的引きこもり」論から「存在論的引きこもり」論へシフトする必要がありそうです。
【「IRIS(イリス)」第7号 インタビューより】 |
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◎選者:芹沢俊介
1942年、東京に生まれる。上智大学経済学部卒。評論家。 著書リストはこちら。 |
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◎協力:東京シューレ出版
フリースクールの草分けとして、奥地桂子氏の呼びかけにより20年前から活動している東京シューレ(NPO法人)の出版部門が2005年に独立。『学校に行かなかった私たちのハローワーク』が朝日新聞に記事が掲載され話題になる。
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