中国青年の反日デモに想う
この春中国都市部で若者の反日デモが広がり、日中関係を緊張させた。 経済関係や草の根の交流がこれだけ増えているのに「なぜ」、と多くの人が困惑したにちがいない。 中国指導部が力で抑えこんだように見えるが、いつでも再燃する可能性を秘めている。
その予兆はあった。西安の大学で日本の若者がやった品のないパフォーマンスへの反発。 サッカーのアジアカップ予選での重慶事件。昨年秋の中国側世論調査では対日感情の悪化が顕著に出ていた。 「親近感をもてない」、「親近感などもってのほか」が合わせて53.6%に上り、「とても親近感をもつ」、「まあもつ」の合計6.3%を大きく上回った(社会科学院日本研究所)。 それが爆発したのは、日本の国連安保理常任理事国入り問題、東シナ海での資源をめぐる紛争や尖閣列島問題、台湾をめぐる日米軍事協力の強化、教科書検定など昨今の一連の動きを受けてであろう。
今回もっとも驚いたのは「愛国無罪」というスローガンである。 もちろん、一国の総理が、アジア周辺国を挑発するように、A級戦犯を祀った靖国神社に何回も参拝することの“愚“は言うまでもない。 またここ数年日本の実態としての「アジア化」が進んでいるというのに、日本のアジア戦略が構築できないのも事実である。それにしても、なぜ彼らは「愛国無罪」を叫び、「日貨ボイコット」を叫ぶのだろう。中国の若者の頭の中は1945年で止まっているのだろうか。 「愛国無罪」だというが、そもそも「愛国は無罪」なのだろうか?
「国」のために、「国」の名前でどのような悪がまかり通ってきたか、日本近代の侵略の歴史を見るまでもないだろう。 「国」はそれ自体はほとんど悪である。近現代中国は基本的に平和愛好的であった。だが対内的には「国」は圧政と抑圧の隠れ蓑になってきた。
4月の反日デモは二つのことを教えていると思う。 一つは、日中間では、国民レベルでは「戦後」は終わっていないのである。1972年の国交正常化は不完全だったし、その後の二国間関係も不十分だった。歴史を忘れやすい日本は、とくにまずこの点から出発すべきだろう。 もう一つは、日中関係を侵略と被侵略の歴史だけで見るのは間違っている。 1945年までの半世紀とそれ以後の半世紀は明らかに違う。中国には戦後日本の平和と発展の試みが侵略のアンチテーゼだったことを認識し理解してほしいと思う。 この「二つの歴史」をトータルに見つめなければならない。 そういう歴史教育が双方で必要なのである。
日中関係はとてもエモーショナルで処理がむずかしい。それだけに理性が求められる。 日中関係のこれまで、その間の問題の理解を助けるために図書リストを作った。 学術に裏付けられた、だができるだけ啓蒙的なもの、読みやすいもの、手に入りやすいものに限ってある。とくに日本と中国の若者たちに読んでいただきたい。
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