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国家の、民族の、性の、階級の境界地帯から生まれてくる小さな声。安住の地をきめない、その非定住性(移動性)、すばしっこい機動力、そして、防御のために、ときには肌の色を変え、嘘もつく「カメレオン」のような能力ゆえに、境界のどちら側からも、煙たがられ、異端視され、抑圧される小さな声。だが、境界のどちら側へも、「国家」とは何か、「民族」とは何か、「男性・女性」とは何か、「階級」とは何か、といった根源的な問題を提起せずにはおかない声。それがボーダーの声だ。
90年代の後半に、わたしはアメリカ合衆国西海岸の、メキシコとの国境の町サンディエゴで暮らしたことがある。地元の新聞には、国境を越えてやってくるメキシコ人たちの凄惨な死のニュースが繰り返し載っていた。メキシコ人の移動の「違法性」や「無謀性」が強調される新聞の論調は、あくまでアメリカ合衆国側の価値観が反映されていて、移動者側の意見は読み取れなかった。
死を賭けてまでも、どうして渡ってくるのか。「違法」とされる国境ごえを繰り返す人々の切実な気持ちはわからなかった。国家の境界(国境線)によって、人々を善と悪とに分けるあまりに単純な二項対立は不毛というしかないが、では、どうすれば、そうした旅人たちのちいさな声を聴くことができるのか。
「文化」というのは、ソフトなイデオロギーだ。特定の国家の「文化」に基づく単純な二項対立的思考で人を判断しないために、「国境」という境界地帯に立ちながら、同じ民族や性や階級内部にあるはずの微妙な「差異」に目を凝らす作業が必要だ。具体的には、「ボーダー文化論」の書き手に耳を傾けてみるといいかもしれない。かれらは一様に、エドワード・W・サイードにならっていえば、「亡命者の視点」を有するアウトサイダーであり、そうした「二重の視点」によって、国家の、民族の、性の、階級の狭隘なイデオロギーをすり抜けているからだ。
【越川芳明】
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『キケロ―もうひとつのローマ史』
アントニー・エヴァリット【著】、高田康成【訳】
白水社(2006-12-05出版)
ISBN:9784560026212
定価:5,670円(本体:5,400円)
古代ローマ最大の弁論家にして政治家・哲学者キケロ。カエサルやアントニウスの影に隠れて「脇役」的存在に甘んじてきたキケロを主役に据え、その激動の生涯を通して古代ローマの世界を生き生きと描き出す。現代にも通じる政治権力の原則を知る、まさに好個の書。各紙で絶賛された、もうひとつの「ローマ人の物語」。
白水社サイト http://www.hakusuisha.co.jp/ |
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『翻訳家の仕事』
岩波書店編集部【編】
岩波書店(2006-12-20出版)
ISBN:9784004310570
定価:777円(本体740円)
当代きっての名訳者37人が勢ぞろい!翻訳という営みに関心をもつすべての読者に贈る、読みどころ満載の翻訳エッセイの決定版。
[目次から]
1 魅せられたる我が魂―翻訳という営み
2 翻訳者の苦悩と偉大―難しさと技術
3 テクストの呼び声―原作との対話
*越川芳明:迷子の翻訳家*
4 生ける言葉―翻訳と創造の狭間で |
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1952年千葉県銚子市生まれ。筑波大学博士課程単位取得中退。明治大学教授(アメリカ文学)。90年代後半から、ボーダー・ピープルの「声」と「歌」を聴くために、精力的に現地調査(フィールドワーク)を行なう。主な著著に、『アメリカの彼方へ――ピンチョン以降の現代アメリカ文学』(自由国民社)。主な訳書に、J・ハスケル『僕はジャクソン・ポロックじゃない。』、P・ボウルズ『真夜中のミサ』(以上、白水社)、S・エリクソン『真夜中に海がやってきた』(筑摩書房)、R・クーヴァー『ジェラルドのパーティ』(講談社)ほか多数。主な編著に、『世界の作家32人によるワールドカップ教室』(白水社)など。
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