内容説明
日蓮仏法の魅力は、体系化された教義よりも、苦しみあえぐ民衆の姿を直視し、門下との真心の対話を重ね、打ち続く難を乗り越えていく「日蓮の生き方」にあった。日蓮の書簡や著作をひもときながら、日蓮ならば現代をどう生きるかを問う。
目次
第1章 生活と人生にいきる日蓮の心(「日蓮」の命名に込められた意味 心の財第一 ほか)
第2章 日蓮仏法に脈打つ「仏法の真髄」(万人に開かれた「日蓮の仏法」 唱題の姿勢 ほか)
第3章 門下の育成に見る「師の心」(師の指導を伝える 生涯師とともに ほか)
第4章 その生涯に貫く「日蓮の心」(生誕 誓願と出家 ほか)
第5章 現代にいきる「日蓮の心」(日本人の宗教観 生きるための宗教 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ブラック ミッフィー の チョコちゃん
2
実際に大聖人の弟子はどれくらいいたのか?とか、 何故、その当時、危険を顧みずに大聖人を慕って 弟子になった人たちが沢山いたのか?とか、 前から疑問に思っていたことが書いてあって 勉強になり、面白かった! 2020/03/17
こうきち
2
Kindleunlimitedで読了。なるほど。その通りだな。《学者がいろいろと同時代の各宗の祖師たちと比較して論じても、日蓮の教義の特質を学術的に分析しても、おそらく日蓮の魅力を十分に引き出すことは不可能でしょう。たしかに今までの客観的な分析から導き出した日蓮観は、仏教学者や宗教学者、歴史学者たちによってさまざまに語られ発表もされてきました。しかし、日蓮の思想と生涯をどう語っても、研究材料としてとらえているかぎり、そこに明かされる日蓮像と読み手の間には心の交流が芽生えることはほとんどありません。》2018/12/29
さき
1
わたしは今まで散々ジタバタ足掻きまくった末、40過ぎたくらいから「いい意味で諦める」という考えにたどり着いた。それは今まで自己否定が酷かった自分から、少しずつでも不完全な自分を認められるという、人としての成長でもあったかもしれない。言い換えれば”図太くなった”かな?^^; ところでこの「諦める」とは、本来の仏教の教義から言えば、人生の「苦」を明らかにするという意味で、積極的に人生を切り開こうとする意義が込められていたのだそうだ。 ⇒2017/05/19