醜の歴史

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  • サイズ B5判/ページ数 454p/高さ 25cm
  • 商品コード 9784887217690
  • NDC分類 701.1
  • Cコード C0022

内容説明

現代の「知の巨人」エーコが、絵画や彫刻、映画、文学など諸芸術における暗黒、怪奇、魔物、逸脱、異形といった、恐ろしくぞっとするものを徹底的に探究。本書は、世界的に好評を博した『美の歴史』の手法により、「醜」の多様性と傾向を明らかにする。なぜ我々は死、病、欠陥を恐れるのだろうか?はたまた醜さが持つ磁石のような魅力はいったい何に由来するのだろう。ミルトンのサタンから、ゲーテのメフィストフェレスまで、魔術と中世の拷問から、殉教、隠者まで、神話上の怪物から、夢魔、食人鬼、デカダンス、あるいはキャンプ、キッチュ、パンク、さらには現代美術まで、実に興味深い構成とトピックにより議論が展開される。

目次

古典世界の醜
受難、死、殉教
黙示録、地獄、悪魔
モンスター(怪物)とポルテント(予兆)
醜悪なもの、滑稽なもの、猥褻なもの
古代からバロック時代までの女性の醜さ
近代世界の悪魔
魔女信仰、悪魔崇拝、サディズム
フィジカ・クリオーサ(肉体への好奇心)
ロマン主義による醜の解放
不気味なもの
鉄の塔と象牙の塔
アヴァンギャルドと醜の勝利
他者の醜、キッチェ、
キャンプ
現代の醜

著者等紹介

エーコ,ウンベルト[エーコ,ウンベルト][Eco,Umberto]
1932年、イタリアのアレッサンドリア生まれ。哲学者、言語学者、小説家。トリノ大学で哲学・中世美学を学び、卒業後はイタリア放送協会で文化番組のプロデューサーとして勤務。その後ミラノ大学、フィレンツェ大学で記号論を講じ、ボローニャ大学では人文科学部長を務めた。世界的ベストセラーとなった『薔薇の名前』など小説のほか、記号論・哲学分野で重要な著作がある

川野美也子[カワノミヤコ]
学習院大学文学部史学科博士課程満期退了。イタリア・ルネサンス文化史専攻。1990‐1994年、イタリア政府奨学金留学生としてフィレンツェ大学、ミラノ大学に学ぶ。元学習院大学非常勤講師。現在、エコールプランタンで美術史や比較文化(オペラと歌舞伎など)の講座を担当(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

かりさ

82
何故人は美しさ同様、いやもしかしてそれ以上に醜さに惹かれてしまうのか。醜をテーマに数々のカラー図版と才気溢れるウンベルト・エーコの深い探求と構成による書。絵画、映画、文学など諸芸術に数々描かれる暗黒、悪魔、地獄に怪奇、異形のもの…エーコの多角的な視点と洞察にただ圧倒されました。冒頭から首を斬られたメデューサの頭部や我が子を喰らうサテュルヌス、十字架磔刑など、おぞましい絵にゾッとしながらも魅入ってしまいます。今度は『美の歴史』を読んでみて、美醜の対極さを味わってみたい。2016/08/04

かんやん

30
古代ギリシャには美のカノン(規範)が存在したが、単純に均斉の破れを醜と規定することはできない。醜を美しく表現することも可能なのだし、昨日の醜は今日の美となり得るのだから。『美の歴史』よりはるかに面白いのは、その複雑さのせいだろう。十字架のイエスの身体、聖人の殉教、死の勝利、地獄、悪魔、様々な怪物達から人種的偏見へ。或いは又、病気、老醜、障害、カリカチュア……息を呑み、圧倒される。相変わらず固有名詞の統一は出来てないし(後書きで理由を述べている)、致命的な誤植(誤変換?)もあるし、引用文の文字が小さすぎる!2021/02/06

たまきら

25
醜い、という感覚を定義する西洋美術史です。古典だけでなく、欧米文学・ポップカルチャーまで様々な資料もたくさん掲載し、西洋における「醜」がいかな部分にあるか、をイタリア人らしい主観に満ちた文章で展開していくところが面白かった。社会が生み出す「醜さ」の感覚は、文化が違えば変わる、は本当ですが、欧米の圧力で美醜の多様性は失われつつあると思います。対の本も読んでみよう。2019/03/30

ユウユウ

19
『美の歴史』とセットで読了(眺めた程度…)。醜さがあるからこそ美が輝くのか、おのおのの美を突き詰めていくと醜になるのか……。どちらかというと、単純に美しいものよりは、どこか気持ち悪いものに惹かれることがあるということを、改めて認識。2015/03/28

∃.狂茶党

18
『美の歴史』に続く、シリーズ第二弾。 無数の引用で織りなすヨーロッパの、「醜」についての歴史。 そもそも、イタリア・ヨーロッパで醜という言葉に込められた意味が、日本とは違うかもしれない エーコ自身序文で、文化の違いからヨーロッパの他の地域についてはわからないと言ったようなことを書いている。 醜いと言っても、表現されたもの、あるいは神の創造物たるものは、何かしらの魅力を放つものである。 繁々とあるいは恐る恐る、怪物の姿を見ることは、一つの快感である。 2023/09/07

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