真理の勇気―コレージュ・ド・フランス講義1983‐1984年度

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  • サイズ A5判/ページ数 459,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784480790538
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C1310

出版社内容情報

パレーシア(勇気をもって真理を語ること)に関する考究をさらに深め、ソクラテスやキュニコス派を独創的なやり方で提示する。哲学的遺言ともいうべき最終講義。

内容説明

パレーシア(勇気をもって真理を語る)概念についての考究を、政治におけるパレーシアに焦点を定めつつ古代哲学の読み直しを試みた前年の主題をうけてさらに深めてゆき、ソクラテスやキュニコス派を独創的なやり方で提示、ギリシア・ラテン思想とキリスト教との関係をも展望する。権力や死を前に真理を語る古代の哲学者の言説が、フーコー自身の病と死の地平から放たれるかのような稀有な輝きとともに繰り広げられてゆく、哲学的遺言とも言うべきフーコーの最終講義。

目次

認識論的諸構造と、真理表明術の諸形式
パレーシアに関する研究の系譜。自己自身に関する“真なることを語ること”の諸実践
自己への配慮の地平における生存の師
その主要な特徴としてのパレーシア
パレーシア概念の起源について
パレーシアの二重の意味
構造上の諸特徴。真理、契約、リスク
パレーシア的協定
パレーシア対弁論術
“真なることを語ること”の種別的方式としてのパレーシア〔ほか〕

著者等紹介

慎改康之[シンカイヤスユキ]
明治学院大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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34

18
フーコー最後のコレージュ・ド・フランス講義録。前半ではソクラテスの死を主題にした対話篇が主に論じられ、後半ではキュニコス派のスキャンダラスな生のスタイルが語られる。どこか危険なほどフーコーがテクストそのものに接近しているようにおもえるのは、彼が最後の講義から三ヶ月後に亡くなっていることをこちらが知っているからだろうか。「真の生がありうるのは、別の生としてのみであるということ。そしてこの別の生の観点から、普通の人々の普通の生が、真の生とは全く別のものとして明るみに出されることになります」。2017/02/09

メルセ・ひすい

5
15-161 倫理的パレーシアを巡る古代史研究。パレーシア概念(率直な語り)=「すべてを語ること」…特に政治的な舞台において。ギリシャの都市国家に差し向けられていた政治的パレ…から倫理的パレ…へと姿をかえた経緯、そこから次第に哲学的パレ…になったながれ。哲学的パレ…のソクラテスによる創設と行使。さらに、自らの生そのものを真理の表明として提示するキュニコス主義的パレ…による極端化と反転、が順をおって検討される。ギリシア・ラテン思想とキリスト教との関係をも展望。未来への起爆力を秘めた、哲学的遺言、最終講義。2012/06/28

kentaro mori

2
<真なることを語ること>、キュニコス主義・・・晩年フーコーの「パレーシア」は唐突にあらわれたわけではない。●パレーシアがあるためには、真理を語る際に、相手に不愉快な思いをさせたり、相手をいらだたせたり、相手を怒らせたり、極端な暴力へと至ることもあるいくつかの行いを相手の側に引き起こしたりするリスクを開き、それを設定して、それに立ち向かうことが必要なのです。したがってそれは、暴力のリスクを冒す真理です。●真理の勇気は、真理を語ることによって、真理を語るために、真理を語るゆえに、自らの生を危険に晒すものです。2023/04/27

ゴリラ爺さん

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自分が考えていることとして語る、預言者と運命、賢者と知恵・存在、技術者と教育・テクネ―、パレーシアステースとパレーシア・エートス、クセノフォン「アテナイ人の国制」、多数派の劣悪さと発言権と都市国家への害、アリストテレス『政治学』からの批判、貴族制、民主制=貧しい人々の権力、良き市民が全般的に有徳とは限らない、君主制と王制、ポリスからプシュケーへの移行、『パイドン』、デュメジル、神託と責務と政治的パレを控えること、神託をテストして探究すること、エクセタシス、ゼーテーシス2022/03/20

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