出版社内容情報
人間の体験における道徳的人間的な意味のある実践として経済性や合理性によっておとしめられているケアをすることについて再考を促す
現代においても、ケアはそれがどこでなされるにしろ人間の体験におけるひとつの基礎となる道徳的・人間的な意味のある実践であることは確かである。それは人間であるということの価値に深く関わっており、経済性や合理性によってその価値が乱暴に貶められることにあらがうものである。本書では、ケアをすることに関する深刻な議論を喚起し、医学・看護・心理学教育と実践・研究におけるケアの位置づけの再考を促す。その一方で、患者や家族やコミュティーにおいてケアをすることの意義を訴える。
第?T部
第1章 ひとりの心理臨床家の考える人間の生とアーサー・クラインマンの存在 (皆藤 章)
序・ 第一節 心理臨床家としてのわたし・1私は何者なのか/2生きる心理療法を巡って/3宗教性/4糖尿病という「病い」との関わり
第二節 邂逅 アーサー・クラインマン・1出会い前/2不治の病いと物語を巡る若干の考察/3出会い/4日本への招聘・結び
第2章
内容説明
医療人類学の世界的権威、ハーバード大学教授アーサー・クラインマンが現代におけるケアの本質を問う。貴重な来日講演(京都・東京)も収録。
目次
第1部(ひとりの心理臨床家の考える人間の生とアーサー・クラインマンの存在;21世紀における感性と主観性の変容―人類は生き残れるか;悲劇そしてケアをすること―アート(テクネー)としての医の失敗)
第2部(ケアをすること―より人間らしくなるための旅;不治の病いを生きる人へのケア―ある事例を巡って;病いと人間的体験―慢性の病いとともに生きること;耐えるということ―アーサー・クラインマン)
第3部(ケアをすること;道徳的・人間的体験としてのケアの実践;クラインマンから学んだいくつかのこと―臨床人類学が医療やケアにもたらすもの)
著者等紹介
皆藤章[カイトウアキラ] [Kleinman,Arthur]
1957年福井県生まれ。1979年京都大学工学部入学。京都大学教育学部転学部。1986年京都大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学助教授、甲南大学助教授を経て、京都大学大学院教育学研究科教授。文学博士。臨床心理士
クラインマン,アーサー[クラインマン,アーサー]
1941年ニューヨーク市生まれ。現在、ハーバード大学教授(the Esther and Sidney Rabb Professor)。同大学医学部社会医学科の医療人類学・精神医学教授。ボアズ賞(アメリカ人類学会が授与する最高の賞)受賞。アメリカ精神医学会名誉会員。アメリカ芸術科学アカデミー会員
江口重幸[エグチシゲユキ]
1951年東京生まれ。1977年東京大学医学部医学科卒業。長浜赤十字病院、都立豊島病院を経て、1994年~一般財団法人精神医学研究所附属東京武蔵野病院精神科医。現在、東京武蔵野病院副院長、教育研究部長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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