内容説明
著者初の書き下ろし自伝「勤労」小説。大学生時代、3カ月の会社員生活、原稿用紙に鉛筆と喫茶店、バーの日々。あのころのジャズ・歌謡曲・ロックと、作家以前の「僕」の物語がいっぱい。登場する121枚のレコードジャケットをオールカラーで収録。
目次
ディーン・マーティンもリッキー・ネルスンも、いまのうちだから
スミス・コロナのタイプライター。ばったり。うっかり。がっくり。どっかり
一月一日の午後、彼女はヴェランダの洗濯物を取り込んだ
湖のほとりのプールに陽が沈む。そして夏は終わる
あのペンネームはどこから来たのか
大学の四年間は一通の成績証明書となった
真珠の首飾りを彼女がナイト・テーブルに置いた
営業の人になりきったら、それ以外の人にはなれないでしょう?
男の社員ばかりで鬼怒川温泉に行き、それからどうするというのか
あなたは、このコーヒーの苦さを忘れないで〔ほか〕
著者等紹介
片岡義男[カタオカヨシオ]
1940年東京都生まれ。作家、写真家、翻訳家。早稲田大学在学中の1960年からコラムの執筆、翻訳を始める。大学卒業後、3カ月の会社員生活を経て、フリーランスのライターへ。1974年に『白い波の荒野へ』で作家としてデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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踊る猫
31
情報量が多く、翻訳調の文体と台詞は何処までも論理的。つまり、こちらに伝わらない曖昧さを残さない小説。その伝達への異様なほどの情熱は、後の世代が逆に情報を増やすことによって目眩ましやギミックに走ったのと異なり、何処までも愚直な「伝える」という情熱に裏打ちされている。簡単に言えば、田中康夫やブレット・イーストン・エリスのようなニヒリズムには陥らない、愚直に語ることの力を信じている作家の小説という印象を受ける。だから、この小説は読んでいて陰鬱な気分にならない。この情熱は後の誰に受け継がれて今日まで至ったのだろう2019/11/06
踊る猫
25
片岡義男の小説は面白い。だがそれはもちろんストーリーテラーとしての面白味ではなく、哲学者/探求者として彼が作中人物に託して開陳する哲学の面白味にあると思っている。彼が書く会話はなるほど村上春樹のそれにも似て(いや、それ以上に?)不自然だが、しかしその不自然さは時に彼らが恋人同士であっても仲睦まじい中にシリアスな対立を見せ、「和やかな議論」とでも呼ぶべき境地へと至る。この自伝的な作品においても精彩を放つのはやはり、彼らが和やかにわかり合っている段階ではなく相違を明らかにする瞬間でありそれは後々まで忘れがたい2022/03/09
踊る猫
24
例えば『豆大福と珈琲』という彼の作品集のタイトルが語るように、片岡義男は決してアメリカかぶれの人間ではない。彼の地の文化をいたずらに称揚して日本を貶めるニセモノの国際派ではなく、日本文化の持つキッチュなところや愛らしいところ、誇れるところをそのまま受け容れるだけの度量を併せ持つ人間である。それはこの小説からも窺い知られる。英語に関する分析あり、繊細なラブロマンスあり文化論ありとどこを切っても片岡印。彼はフリーランスの書き手としてひたすら現場で筆を磨き、ここまで語れる人間として己を鍛え上げたのだと唸らされる2023/02/26
踊る猫
23
「テディ片岡」時代を回想した、とも読める小説群だ。本格的な小説家として台頭する前のフリーライターの彼(だが、同時に紛れもなく恐ろしい炯眼を備えた批評家でもあった彼)に興味があったからか、ここで綴られる彼の「青春」に微笑ましさを感じてしまう。あまり他のものと対比して褒めたり貶したりするのも嫌なのだが、それでも(私が書くものも含めて)凡百の小説が束になっても敵わない「本物」の知識を感じる。それは「ペイパーバック」を読みこなす語学力と先述した批評眼ゆえに身についた、ゴージャスな都会っ子のセンスだからかもしれない2022/08/13
青豆
20
大学在学中にコラムの執筆と翻訳を始め、3ヶ月の会社員生活を経て小説家になるまでの歳月を音楽と共に振り返る自伝的小説。作中に登場するレコードは、作風から洋楽だけかと思いきや、邦楽も多々あるのが驚いた。ロック、歌謡曲、ジャズ。原稿用紙と鉛筆。喫茶店にバー。自身の作品を体現した様な青春時代を送っている作家以前の片岡さんの姿がただただカッコいい。白いシャツに黒のニットタイを結んで、作中に出てきた音楽を流しながら珈琲を飲んでみたい。 2017/08/06
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- 和書
- 小説あります 光文社文庫




