出版社内容情報
老翁広成には何としても言い残さなくては死ねぬと思い定めたことがあった.斎部氏と中臣氏の携ってきた祭祀がいつしか中臣氏に集中している憤懣である.幸い平城天皇の召問を機に,国史・氏族伝承に基づきそれを「古語の遺りたるを拾ふ」と題して撰上した.時に大同二(八○七)年.記紀にない記載も含み研究史上多くの示唆に富む.
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
やいっち
41
語拾遺の訓読文、訓読文補注、原文、原文補注、解説と続く。 普通なら、訓読文を読みつつ、補注を随時参照する。が、あまりに補注が詳しく多く(← 必要だから当然)、訓読文を読み、そのあと、補注を纏めて通覧し……と、つまりは本書の構成通りに順番に読んでいった。悲しいから十分な未読など吾輩の力量を超える。あくまで日本の古典に触れたいという一心なのである。2019/10/04
ピンガペンギン
29
祭祀関係氏族の斎部広成が中臣氏に祭祀が集中するようになったのことに憤怒して807年に書いたもの。本来こうあるべきなのに実際はそうなっていないという事実を述べている。P51「諸国の大きなる社にも、また中臣を任して、斎部を預からしめず。」とある。神主は公務員的性格をもっていたのか。読むと、著者のまじめそうな人柄は伝わってくる。のちに「中臣氏の先祖神について」の箇所が改ざんされているという。広成は中臣氏先祖神を「神産霊神」としている。この神は「日本神話の神々」(戸部民夫)によると出雲系の神で大地母神的性格をもつ2025/01/31
双海(ふたみ)
5
古事記・・・。2014/01/21
ダイキ
4
何か読んでおきたいと思い、文量的に手頃なこれを再読しました。「天照大神、吾勝尊を育(ひだ)したまひて、特甚(おぎろ)に愛(いつくしみ)を鍾(あつ)めたまふ。常に腋の下に懐(いだ)きたまふ。称(なづ)けて腋子(わきご)と曰ふ。」、いつ読んでもこの一節には万感胸に迫るものがあります。2016/12/23
moti moti
2
9世紀初頭の段階でも、記紀の神話を荒唐無稽と思っている人がいたことは意外だった。注によれば、作者は大化の改新は中国の猿真似で中身のない改革だと考えていたそう。古文や漢文の知識がないのでなんとも言えないが、本文からはそこまでのニュアンスは感じなかったが、研究者がそう言っているのだからそうなのだろう。なんとなく、明治維新批判みたいで面白い。2024/12/14