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言葉の重力と読み手自身の質量を通じてしか得られないもの『十代に共感するやつはみんな嘘つき』(最果タヒ 著)【書評専門誌 「週刊読書人ウェブ」】

十代に共感する奴はみんな嘘つき

十代に共感する奴はみんな嘘つき

最果タヒ / 文藝春秋
2017/03出版
ISBN : 9784163906232
価格:¥1,296(本体¥1,200)

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【内容説明より】
感情はサブカル。現象はエンタメ。つまり、愛はサブカルで、セックスはエンタメ。私は生きているけれど、女子高生であることのほうが意味があって、自殺したどっかの同い年がニュースで流れて、ちょっと羨ましい...。

【評者】倉本 さおり(ライター・書評家)

女子高生の〈私〉。人気者の男子に告白をする。クラス内で気の強い女子にハブられる。すでに孤立している別のクラスメイトと交流する。学校をさぼった勢いで家出を試みる。それらの出来事の間隙に、「愛」や「死」や、「存在」や「世界」といった言葉が繰り返しちりばめられる。
『十代に共感する奴らはみんな嘘つき』。タイトルからして扇情的だ。あえて作中のコンテンツを機械的に――あるいは有機的に並べてみせれば、ほぼ誰もがこの作品に「青春小説」の判を押すだろう。想起されるイメージは、焦燥、孤独、感傷、連帯感といったところだろうか。むろん、それらはいずれも「十代」に紐づけされるキーワードだ。

けれど、実態はそのどれもが正解だとは言い難い。すくなくとも、本書に詰め込まれた異質な言葉の列を実際に追ってみれば、最初の想像で浮かび上がった姿を――すなわち「物語」を、「共感」を、ことごとく裏切るものだということだけはわかるだろう。

最果タヒの小説は、徹頭徹尾ロジカルに構成されているくせに、テクストが像を結ばない。それぞれの言葉の密度が等しく濃かったり、まったく同質でなかったりするために、一文一文が互いに従属せず、大きな流れを編もうとしないのだ。
 
たとえば、本作の冒頭はこんな姿をしている。
〈感情はサブカル。現象はエンタメ。/つまり、愛はサブカルで、セックスはエンタメ。〉

いきなり〈感情〉や〈愛〉といった大きな概念が持ち出されると当時に、〈サブカル〉という意想外かつポップな言葉の組み合わせを通じて論理的にイコールで結ばれる。一方、〈現象〉と〈セックス〉、〈エンタメ〉の関係も同様だ。数式のように明快な等号、対比、断定。いかにもキャッチーで意味ありげ、思わせぶりな幕明けにちがいない。ところがこの後、〈私は生きているけれど、女子高生であることのほうが意味があって、自殺したどっかの同い年がニュースで流れて、ちょっと羨ましい。〉といった、前文の主題とは一見無関係な一文が続き、さらに〈パスタが食べたいけれどお金がないから、家でミートソースばかり作ってもらって食べている。〉という、これまた最初のメッセージの強さを脱臼させたような文章が接続される。言葉はあくまでニュアンスやイメージを伝えるだけで、前後の文意をつなぐことで浮かび上がる明確な志向性は見当たらない。読み手は煙に巻かれたような状態のまま、なし崩し的に流れ出していく女子高生の「日常」らしきものに付き合わされることになっていく。

だいたい、作中の出来事の発端となる、「告白」のテン末からして少々エキセントリックなのだ。〈私〉ことカズハは目当ての男子・沢くんに交際を申し込んだものの、〈まあいいよ〉という、モヤッとする返事で対応されたことに腹を立て、申し出自体を取り下げてしまう。逆に自分がフラれた形になってしまった沢くんの〈傷心〉に周囲の女子が勝手に同調(!)した結果、カズハはクラスでハブられ、あからさまないじめ行為を受けるという事態に直面する。ここまでの経緯に、すくなくとも「女子の告白」から予想されるお約束の流れはずいぶん希薄だ。むしろ、告白をOKした側は喜ばれてウキウキの状態で付き合えるはずだ、という沢くんにとってのお約束の流れ――あるいは、人気者相手に告白したほうがフラれて傷心するべきだ、という周囲の女子にとってのお約束の流れ――が、きっぱりと否定されることによって、カズハへのいじめが発生している構造に注目せざるをえない。

そもそもカズハ――すなわち〈私〉自身が、いわゆる「いじめられっ子」の類型からは大きくはみ出している。瞬時に告白を取り下げる思い切りの良さもそうだが、それとなく「いじめられっ子」を自認しているクラスメイト・初岡相手になまぬるい忖度など用いず、いっそ憎しみに近い温度を湛えながらロジックで徹底的に追い込むような口の利き方をする。そこにあるのは、傍から見れば不可解にも映るほど剥き出しの攻撃性だろう。だが結果的に、いつも周囲におびえていた初岡の痛々しい態度は、まさにそれら一連のやりとりを通過したがゆえに変革を遂げることになるのだ。

シングルストーリーの危険性。共感ポルノへの反駁。最果がいわんとしていることの一端は、じつはエッセイや各作品に附せられた「あとがき」に十分すぎるほど明記してある。彼女の小説が予め批評を拒んでしまう側面があることは、そうした経緯にも表れている。

それでも、作中に実際に連ねられた言葉の重力と、読み手自身の質量を通じてしか得られないものがあるということ――それは恒星と惑星の関係に似ている。最果タヒの小説は、惑星の軌道をなぞるようなものなのだろう。




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2017.09.14 書評で読む