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新宿本店3階じんぶんや選書フェア 安川晴基選「記憶史」のまなざしで「西洋」を問い直す

紀伊國屋書店新宿本店3階のブックフェア「じんぶんや」、今回の選者は安川晴基さん。
「記憶史」のまなざしで「西洋」を問い直す
という表題のもと、じんぶんやにエッセイをいただきました。

安川さんエッセイ
「記憶史」のまなざしで「西洋」を問い直す

@Yashukawa-photo.jpg 「ユダヤ人」を今あるものたらしめているのは何か。フロイトは『モーセと一神教』で、この問いに答えるために、ユダヤ民族の成立を集合的な心理史として再構成した。それによれば、ユダヤ教の創始者モーセは実はエジプト人だった。彼が告げ知らせたのは、古代エジプトの王アクエンアテンの唱えた太陽神だった。しかし、このモーセはユダヤ人たちに殺され、この凶行の思い出はトラウマとなって民族の集合的記憶に潜伏する。だが、殺害されたモーセとその神は、抑圧をくぐり抜けて回帰し、ついには民族を呪縛した。なぜフロイトは最晩年にこの途方もない「歴史小説」を書いたのか。1990年代以降、「ユダヤ性」の由来をめぐるフロイトの問い自体を問い直す試みが、イェルシャルミ、デリダ、サイードと続く。ヤン・アスマンの『エジプト人モーセ』(1998年)もこの流れに位置づけられる。世界的に著名なドイツのエジプト学者が、イェルシャルミに触発され、サイードを先取りする形で、フロイトの問いに応答したものである。
 もっともアスマンは、モーセは実際にエジプト人だったのか、と問う代わりに、彼が――「事実史」と区別して――「記憶史」と呼ぶ方法を選ぶ。事実史は過去それ自体の再構成をめざす。それに対して記憶史は、いかなる過去のイメージが、誰によって、なぜ想起されているかを問う。ときに対立する過去の諸々のイメージがどんな意図を追求しているかを問う。その都度の現在の力のせめぎ合いの中で、過去のイメージが出現し、途切れ、あるいは新たな意味を帯びて再び現れる。その布置を発掘していく手つきはフーコー的な系譜学を思わせる。また、集合的記憶に潜伏し、情動を解き放ちながら思いがけない時代と場所に回帰する「想起の形象」の遍歴路を探るまなざしは、ヴァールブルクの図像学を思わせる。出来事ではなく出来事の記憶の生成と変容、過去が集合的に編成されるプロセス、過去の構築とアイデンティティ構想の連関、過去の様々な利用に対する関心は、1980年代以降、人文学の大きな流れになった。ピエール・ノラの『記憶の場』がその画期だろう。1990年代に「文化的記憶」のコンセプトを提唱したヤン・アスマンとアライダ・アスマンも、この「記憶論的転回」を牽引してきた。そのヤン・アスマンは『エジプト人モーセ』で、自らの専門であるエジプト学に記憶史のまなざしを向け、ヨーロッパにおけるエジプト想起の忘れられた諸章をつまびらかにする。
 アスマンによれば、モーセをエジプト人とする想起の系譜は、マネトーやストラボンなど古代の著述家にまで遡り、ルネサンスを経て、スペンサー、カドワース、トーランド、ウォーバートン、ラインホルト、シラーなど、17世紀と18世紀のヘブライ学者・理神論者・スピノザ主義者による思弁的エジプト学で頂点に達する。そしてアスマンは、「エジプト人モーセ」という想起の形象を賦活してきた、ある論争の文脈を再構成する。聖書で想起される「ヘブライ人モーセ」は、一神教の根底にある「モーセの区別」――真の宗教と偽の宗教を分かつ根源的な区別――を象徴している。アスマンは一神教を「対抗宗教」とも呼ぶ。なぜならそれは、己が体現する真理と相容れないものを虚偽として排除する、否定の潜勢力を秘めているからだ。対抗宗教に発する「神性破壊」の衝撃は、アクエンアテンの一神教革命以来、反動形成として、一神教を超克しようとする情動を呼び覚ましてきた。スペンサーからシラーにいたる「エジプト人モーセ」の想起の系譜は、一神教の真理の故郷をエジプトに求めることで、モーセの区別を脱構築しようとした。
 アスマンはフロイトもこの想起の系譜に位置づける。強迫神経症としての一神教というフロイトの診断は一種の治療的試みだった。フロイトは、反ユダヤ主義の暴力が吹き荒れる中、『モーセと一神教』で、この憎悪の出所を探した。モーセの区別は除外された者たちの憎しみをも呼び覚ます。この情動を、その起源を想起することで克服すること。事実史の観点ではフィクションとして片付けられるフロイトの再構成を、アスマンは記憶史の観点でこう読み直す。ところで、イェルシャルミ、デリダ、サイードも、フロイトの再構成を、アイデンティティ・ポリティクスの文脈でそれぞれ別様に読み直した。これら再読の試みはその都度どのような論争的文脈でなされたのか。それをたどるのも記憶史の記憶史として面白い。
 なお、『エジプト人モーセ』が立てた一神信仰の対抗宗教に内在する暴力性というテーゼは、神学者や宗教史家などからの激しい批判を招き、今日なお続く論争を巻き起こした。しかし、対抗宗教としての一神教という問いの立て方は、それを退けるにせよ引き受けるにせよ、宗教と暴力の結び付き、今日の諸々の原理主義と宗教テロリズムを考えるうえで検討すべき重要な視点だろう。
 「エジプト人モーセ」の系譜は、一神教的西洋の他者ではなく、起源としてのエジプトを想像した。その各々の段階が、フロイトも含めて、自己の起源を再構築する試みだった。人文学も想起の営みの一つである。とすれば、西洋の人文学は、自らの過去をいかに想起(想像/創造)し、忘却してきたのか。同時に他者のイメージを絶えず生み出しながら。この想起の営みに対する記憶史のまなざしで、自明とされてきた「西洋」と「非西洋」、自己と他者の境界線を問い直す仕事がなされてきた。サイードの『オリエンタリズム』(1978年)やバナールの『黒いアテナ』(1987年)が思い浮かぶ。欧米中心主義の知をどう組み替えるかという課題がこれらの仕事を結び付けている。アスマンの『エジプト人モーセ』は、イスラエルでもギリシアでもない、エジプトに己が由来を求めた、人文学の一つの伏流を明るみに出した。アスマンの本も、西洋の文化的記憶を内側から開く試みとして、これらの仕事に連なる。

安川晴基(やすかわ・はるき)さんプロフィール
1973年広島県に生れる。ドイツ文学研究者。名古屋大学大学院人文学研究科・准教授。訳書に、ヤン・アスマン『エジプト人モーセ:ある記憶痕跡の解読』(藤原書店、2017年)、ハインツ・シュラッファー『ドイツ文学の短い歴史』(共訳、同学社、2008年)、アライダ・アスマン『想起の空間:文化的記憶の形態と変遷』(水声社、2007年)など。

エジプト人モ-セ ある記憶痕跡の解読

エジプト人モ-セ ある記憶痕跡の解読

ヤン・アスマン、安川晴基 / 藤原書店
2017/01出版
ISBN : 9784865781045
価格:¥6,912(本体¥6,400)

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モーセはなぜ「ヘブライ人」と記されるのか?!
イスラエルの民を「約束の地」へと導いた"ヘブライ人"モーセ。事実史ではなく"記憶史"の視点から、邪-異-偽のイメージを押しつけられた"エジプト人"としてのモーセ像を歴史のなかに丹念にたどり、排他性を特徴とする一神教の誕生の瞬間を解き明かす!


安川さんの選書はフェア終了後に掲載します


「じんぶんや」アイデンティティ1

★ 月 が わ り の 選 者

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「じんぶんや」アイデンティティ2

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ご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いします。

【じんぶんや】安川晴基選
「記憶史」のまなざしで「西洋」を問い直す

場  所 紀伊國屋書店新宿本店 3F-I28棚
会  期 2017年7月6日(木)より開催中
お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店3階 03-3354-5703

2017.07.10 特集[TOP]  人文