紀伊國屋書店
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恩田陸さん特別寄稿

 



恩田 陸 [おんだ・りく]

 1964年、宮城県生れ。早稲田大学卒。
92年、日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となった『六番目の小夜子』(新潮社)でデビュー。活字でしか味わえない恐怖と、活字でこんなことが出来るのかという感動を同時に与え、注目を浴びる。
 ホラー、SF、ミステリなど、既存の枠にとらわれない、独自の作品世界で沢山のファンを持つ。
 著書に、『球形の季節』(新潮社)『三月は深き紅の淵を』(講談社)『光の帝国 常野物語』(集英社)『図書室の海』(新潮社)『ライオンハート』(新潮社)『禁じられた楽園』(徳間書店)『Q & A』(幻冬舎)などがある。

撮影:中島 博美

 

タイトル

 思えば、予告編が好きだった。
 映画はTVでしか見たことがなかったし、「吹き替え」の意味すら分からなかったけれど、時々「ゴールデン洋画劇場」で、番組の最後にその先二ヶ月分くらいの放映予定をいっぺんに紹介する時があって、それを見ている時が一番わくわくした。

 思えば、カタログが好きだった。
 もちろん本を読むのは大好きだったけれど、岩波書店の児童文学のカタログを眺めて、本の表紙やタイトルから、お話の内容を想像するのがこれまた楽しかった。だから書店に行くと、本を手に取って中身を見るよりも、ずらりと並んだ本の背表紙や平積みになった本の表紙をじっと眺めていることのほうが好きだった。角川文庫やハヤカワ文庫の翻訳文学のタイトルはいつまでも見飽きることがなく、配置順まですっかり覚えてしまっていたのに、また書店に行くと同じ背表紙を順番に見ていった。

 思えば、印刷物が好きだった。
 ご多聞に漏れずリカちゃん人形が大好きだったけれど、実はリカちゃん人形そのものよりも、パッケージに一緒に入っているカラー写真のパンフレットのほうが欲しくて、その中に写されているリカちゃんのさまざまな洋服や、ソフトフォーカスで撮られた背景なんかにうっとりしていた。

 企業のPR誌なんかもせっせと溜め込んでいた。印象に残っているのは、長崎屋の広報誌で、かなりミニコミっぽい「ひとりとふたり」という小さな雑誌があり、そこで初めて丸文字の元祖、ナール体に遭遇して衝撃を受けたことである。私は字を書くスピードが速いので、さんざん真似しようとしたがとうとうあの字をマスターできなかった。
 そんなわけで、私はノートが大好きだった。ノートをやぶって真ん中で閉じ、雑誌らしきものを作るのが好きだったのである。罫のないノートを見つけた時には物凄く嬉しかった。だって、漫画の本も、小説本も、世の中の印刷された本には罫なんか入っていないからだ。そのノートを何冊も買ってもらい、漫画を描いたり、お話を書いたり、これから書く漫画の予告編を描いたりしていた。『大脱走』を観れば穴を掘って逃げる話を書き、『オヨヨ島の冒険』を読めば「あたしは」という一人称でお話を書いた。

 けれど、当時の私は、一度もお話を最後まで書くことができなかった。いつもイメージばかりが肥大して、ちっとも書けないことに嫌気がさし、ほんの数ページでやめてしまってばかりいた。ひたすら予告編ばかり書いているうちに、大人になってしまったのだ。

 そして、ようやく私は本編を書くようになった。やっと、おしまいのページまでお話を書けるようになったのである。しかし、子供の頃を振り返る時、決まって吉原幸子の詩の一節──「書いてしまへば書けないことが 書かないうちなら 書かれようとしてゐるのだ」という言葉をしみじみと噛み締める。
「書かないうちに書かれようとしていた」ことを、今の私は書けているのだろうか?

それはまだ──恐らくは最後まで──きっと分からないに違いないのである。








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