紀伊國屋書店
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キノベスに2作品がランクイン

伊坂幸太朗さん特別寄稿
伊坂幸太朗さん
 
伊坂幸太朗さんプロフィール
タイトル

 店のドアが開いた、と思ったら、」ずかずかと彼女が店内に入ってきた。僕の向かいの席に座ったとたんに、挨拶もなく、すごい剣幕ではなしはじめる。
 ひと通り彼女が喋り終わったところで、僕はようやく口を挟めた。「つまり」と彼女にフォークを向ける。「つまり、君はストーカーに悩まされているわけだ」
 市内にある、イタリアンレストランだった。手の込んだ料理が出るわりに、『値段も安く、僕はここのランチを一人で食べるのが好きだった。
「ストーカーという呼び方は好きじゃないの」と彼女が口を尖らせる。「タルコフスキーの映画に、ストーカーっていう傑作があるから、いっしょにされたくないんだよね」
「そうやって、自分の好きな固有名詞を偉そうに述べるのはやめたほうがいいよ」
「あなただって、よくやるじゃない。人のふり見て我がふり直せ、って言葉知ってる?」
「ああそう」僕はもう面倒臭くて仕方がない。
「とにかくその男がさ、ホントしつこいの。いつの間にか書店に来るようになってたんだよね。わたしの顔見て、にやにやしてるの」
「その彼は、本は買わないの?」
「本屋には本しかないでしょ。で、レジにいるわたしに近づくには、本を買うほかないじゃない。だから、毎日、買っていくんだよね」
「お得意さんじゃないか」
「迷惑なんだってば。私の顔を見ると、嬉しそうに喋るんだから。『この本、面白いですね』とかさ、『この続編は置いていないんですか』とか」

「ひどい言葉には思えないけどな」
「買った本は全部読んでるみたいで、最近はやたら、詳しくなっちゃてるわけ。 『三島由紀夫に爽快な犯罪小説を書いてほしかったですよね』とか、『中上健次の短編“隆男と美津子”はミステリですね』とか、うるさいったらないわけ。しまいには、『この文庫本の隣にこの単行本を置いたら売れますよ』とか、『この本とこのノンフィクションは客層が一緒ですよ』とか、『こういうポップを掲げたら、客は手にとりますよ』とか言ってさ」
 僕は、フォークを突き出したまま、「へえ」とか「ふうん」の中間のような声を発する。
「しかもさ」彼女はむくれた顔で、「言うとおりにやってみると、これが売れちゃうわけ。本当に、お客さんが本を手に取っていくんだよね。頭きちゃうでしょ」
「あのさ」剣幕に圧されながら、言う。
「何?」彼女は鼻息が荒い。
「その彼はさ」僕は遠慮しながらも、つづけた。「もはや、ストーカーとか、おとくいさんとか、そういうものではなくてさ」
「何よ」
「書店の救世主と呼びべきじゃないのかな」
「何それ、他人事みたいな言い方じゃない。わたしがつけまわされてるんだよ」
「他人事も何も、僕たちは他人じゃないか」
「そういう言い方ってひどくない?」
「それ以上、近づいたら刺すからね」僕は、二年前から僕を付け回すストーカーの女性、つまり目の前の女性に、フォークを向ける。人のふり見て我がふり直せって。


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