内容説明
又左衛門は果たし状の意図を探るべく、市之丞の居場所を捜すうちにある疑念を抱く。かつて友だった今の政敵が裏で手を引いているのでは? 太蔵が原の開墾という大事業を成し、下士の身分からついには藩政の中枢まで上り詰めた又左衛門。しかし、執政とは策謀と収賄に満ちた泥の道だった。権力に近づき腐り果てるのが望みか、市之丞は面罵する。又左衛門の心は溟(くら)い。現代の会社組織にも通じる、執政職の孤独や武家社会の悲哀を描ききった秀作。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
251
この下巻では、郡奉行、中老、そして家老へと立身の階梯を上り詰めてゆく又左衛門を描く。かつて、若き日を同じ道場で過ごした5人の若者たちの行き着いたところは大きく違っていた。風が駆け抜けていくように栄達を極めた又左衛門が得たものが所詮は権力であり、権力への意思であることに彼は気づく。人は生き、そして等しく死んでいく。寂寥感と虚しさが秋風の中を漂うような、そんな小説だ。なお、又左衛門が立身を遂げていく下巻は、最後を除いては上巻に比して、やや情感には乏しいように思われるが、それでも藤沢周平を満喫できる小説である。2015/08/27
ケンイチミズバ
112
人生を振り返る域に達した自分を振り返るような読書になった。私は決して清廉潔白な人生を歩んできませんでしたし正直に生きて来たかと言うとそうではありません。大老にまで上りつめた又左衛門がラスト近く庄六とおまえおれで上士と下士でなく、あの頃のように話をしようと切り出したところからじんわり感動が寄せた。結局一番幸せだったのは誰だろう。親友を斬ることになった市之丞は死の病を天罰のように思ったのか。家柄も人との出会いもそう、出世する人としない人の違いは個人の資質よりもむしろ運命のようなものの強さではないかと感じた。2021/09/30
じいじ
112
【海坂藩城下町 第3回読書の集い「冬」】参加作品。主人公・桑山又左衛門を取り巻く旧友たちとの懐かしい想い出を通して語られる。今作と同じ初老の武士を主人公にした『三屋清左衛門残日録』と同様、重厚な味わいの作品です。仲の良い友達は、時としてライバルにもなるし、仲違いもするもの。家老まで出世した又左衛門と不甲斐無い過去を背負って生きてきた友との確執の末の「果たし状」。争いを回避したい主人公の苦悶する胸の中を丁寧に描いた秀作である。解説の作家・葉室麟(昨年66歳で急逝)曰く「これは、おとなの小説」は、同感です。2018/01/05
ふじさん
93
首席家老の又左衛門としての現在と、部屋住みの息子であった隼人が市之亟を含む友人たちとの関り合いの中で成長していく姿が、巧みに、丁寧に描かれていく。最後に、市之亟の果し合いで辛うじて相手を倒し、命を繋ぐが若い頃から友人の死は言葉では語り尽くせない。庄六が語ったように、「死病を患ていた市之亟は又左衛門に斬られて死にたかったかも知れない」が、果たし状の真実かもしれない。友との出会いと別れ、確執等様々な人生模様が凝縮した一冊だ。 2022/02/25
佐々陽太朗(K.Tsubota)
70
若き頃、同じ道場に通った仲間。家柄の違いこそあれ、一緒に稽古し、一緒に遊び、仲間として価値観を共有できた。未来がたっぷりある若いうちは、それぞれが人生どうなるか判らないという不確実性がある分、希望もある。しかし、四〇才、五〇才と歳を数えるとそうはいかない。ある程度、成功した者とそうでなかった者がはっきりする。久しぶりに会う友と「おい。おれ、おまえで話そう」と断らねばならないことが全てを現している。ほろ苦いことだが、生きて、歳を重ねるとはつまりそういうことだ。2014/03/29