内容説明
他者、芸術、メディアをめぐる表現の問題を、柳美里裁判や憎悪表現、戦争報道、プライヴァシー問題などの具体的事例に即しながら徹底解読。表現の自由の限界とそれが孕む暴力性を鋭利に分析。
目次
1 他者と表現の「リミット」(現われの消去―憎悪表現とフィルタリング;傷つける表現;憎悪の再生産―ヘイト・スピーチとメディア空間)
2 芸術と表現の「リミット」(アドルノとエンツェンスベルガー―「アウシュヴィッツ」以降の表現をめぐって;文学的表現と応答性―柳美里『石に泳ぐ魚』裁判と「表現の自由」;「ヘテロ」セクシズムと表現の「リミット」;戦争報道写真―惨劇を再現することの困難性)
3 メディアと表現のリミット(パロール・エクリチュール・メール―デジタル・メディア時代における言語;「顔」をめぐる倫理と政治―顔認識における四つのイメージ;表現の自由と人格権と―『週刊文春』事件の衝撃;大衆の欲望と表現の「リミット」―『ビッグ・ブラザー』考)
著者等紹介
藤野寛[フジノヒロシ]
1956年生まれ。フランクフルト大学哲学部学位(博士)取得。哲学・倫理学専攻。高崎経済大学教授
斎藤純一[サイトウジュンイチ]
1958年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。政治理論・政治思想史専攻。早稲田大学教授
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感想・レビュー
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たろーたん
1
フェミニズムのマッキノンやバトラーを使った憎悪表現の分析が割と面白かった。憎悪表現は歴史的に蓄積された「共同体における言語の偏向」をそのつど蘇らせる「引用」の表現・行為であり、憎悪表現は歴史的文脈があるから成立する。そして、ポルノグラフィは「男が上、女が下」という歴史的に偏った規範を再生産する憎悪表現である。では、規制や検閲をすればいいかというと、そうではなく、規制をすることで暗に、その規制された表現を認める形になってしまっている。また、その規範を打ち破る批判的行為体の出現も阻んでしまう。2018/10/14
misono
0
流し読みしました。今後、適宜参照したいと思います。2005年の本ですから、表現の行為性などの議論は現在もっと進んでるんでしょうか。 ―良かった箇所 ・マッキノンやドウォーキン、バトラーを参照して表現の問題を整理した箇所はわかりやすいです(現れの消去/齋藤純一) ・「石に泳ぐ魚」裁判、知りませんでした ―個人的に興味の範疇から遠かった箇所 ・アドルノとエンツェンスベルガー ・戦争報道写真 ―好ましくなかった箇所 大庭健氏の文章は、筆致はもとより論理展開としても粗雑に感じました。 よかったです。2021/02/03




