内容説明
J.M.クッツェー、大江健三郎、埴谷雄高、夢野久作、オスカー・ワイルド、ハロルド・ピンター、トム・ストッパードなど、数々の作家との比較によって浮かび上がるベケット。
目次
第1部 テクノロジー(ベケットとカメラアイ―『フィルム』をめぐって;頭蓋の中の幻影とテクノロジー―ベケット、埴谷雄高、夢野久作)
第2部 疑似カップル(pseudocouple)(『真面目が肝心』と“疑似カップル”―ベケットからワイルドへ;大江健三郎『さようなら、私の本よ!』におけるベケット―“疑似カップル”と「おかしな二人組」)
第3部 J・M・クッツェー(ベケットからクッツェーへ;クッツェー、動物、存在論―『エリザベス・コステロ』から「ベケットを見る八つの方法」へ)
第4部 イギリス現代演劇(ハロルド・ピンターにおける政治;トム・ストッパードとポストモダン)
著者等紹介
田尻芳樹[タジリヨシキ]
1964年生まれ。イギリス文学専攻。東京大学大学院博士課程中退、ロンドン大学Ph.D.。東京大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ロータス
2
ベケットと埴谷雄高の比較は今まで読んだことがないので、非常に興味深く読んだ。また、夢野久作、大江健三郎に関する論考も面白かった。ただ、著者は安部公房とベケットには共通点がないと言っているが、「見る=見られる」という構造は安部公房の特徴と言えるのだから、直接的なベケットの影響ではないとしても極めて大きな共通点であるし、そこはもう少し掘り下げて論じてもよいのではないかと思った。2020/01/06
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1
「ブルジョア個人主義の中での主体の構築と後期資本主義の中でのその解体の間の中間的段階に出現する」「疑似カップル」という、「語りの観点から」すると、「伝統的なプロットに基づいた小説はフローベールの時代に失効したが、かと言って個人が完全に解体した現代の分裂症的テクストにもなり切らない状態で成立する一種の妥協装置」について論じた第Ⅱ部が抜群に面白い。2015/08/30