内容説明
日本文化に創造性が満ち溢れるのはどういう時期なのか―。復興期のエネルギーがほとばしり、美と力が鮮やかに結晶化するとき、日本人の真の文化的冒険は開始される。“戦後”の活気溢れる表現の系譜に、いま気鋭の批評家が迫る。瑞々しい視線からつむがれる新しい文明の自画像。紋切り型の「無常観」を突き抜ける大胆不敵な日本文化論。
目次
序章 歴史の窪地
第1章 復興期の「天才」―柿本人麻呂とその外部
第2章 都の重力、重力の都―物語の存在理由
第3章 滅亡の生み出す文化―中国の場合
第4章 ヴァーチャル・ネーション―近世社会の超越性
第5章 戦後/震災後―日本近代文学における内面と美
第6章 魂の帰る場所―戦後サブカルチャーの復興思想
終章 無常観を超えて
著者等紹介
福嶋亮大[フクシマリョウタ]
1981年、京都市生まれ。文芸評論家、中国文学者。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。現在、京都造形芸術大学非常勤講師。近世からポストモダンに到る東アジアの社会的文脈を踏まえながら、文学にとどまらず日中のサブカルチャーや演劇など幅広いジャンルで批評活動を展開している気鋭の批評家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
40
復興という観点から紐解くと日本文化には多くのリソースが眠っている。それらは日本にあるが、古くは中国に参照項を求められる。彼らには国家の存亡だけでなく、そもそも国家滅亡の歴史すら振り返ることが出来る。歴史だけでなくそこに文学と政治をつなげて考える批評的な試みは、今回の復興の力となるだけでなく、未来の災厄に対応するためのヒントとなる。象徴的な破壊をもたらしたコロナに対して『感染症としての文学と哲学』を書いており、両者を合わせて読むとより理解が深まると思います。第5章では日本近代文学には〈わたし〉の文学ではない2022/05/25
壱萬弐仟縁
19
新進気鋭の著者が放つ、創造性を 文学に求める一冊。 文化とは新しい課題に応じて、 評価を改訂するべきもの(021頁)。 刷新なきところに文化創造は果たし得ない。 祭りの原初は、夜通し一同で神に奉仕する 意味合いがあった(032頁~)。 そう言われてみると、どんど焼のようなものも 朝まで火を絶やさなかったが、 今や大人が準備したり、 22時頃にはお開きのように少子化 の影響が伝統行事にも出ている。 2014/04/27
ミズグ
17
近代の枠組みから離れた日本の歴史の掘り下げに読みごたえ抜群であった。基本的な文学的教養の欠如から読み込めきれてない部分も多数だがそういうことを認識できたことも含め、大切な一冊であった。2014/07/05
Z
6
読み物としては面白いが、歴史と文化を結びつけると、不当な一般化をしやすく、漱石の小説から、小説一般のモデルを取り出すなど。歴史研究でもなく、歴史の哲学的な考察ともつかず、抽象概念に振り回されている印象を受けた。2015/06/14
シン
6
文化は震災や戦争といった部分的全体的な滅亡を経験した後に大きく成長する。それを日本の古代は柿本人麻呂から村上春樹、宮崎駿らの減退まで。そして日本にヴァーチャルな亡国を与えた中国。中国はなんども亡国を経験したが、日本は亡国処女だという表現には盲点をつかれた。著者の専門が中国文学というこもあり、孔子らの言葉が多数引用され内容を理解するのが大変だが、最後まで読まさせしまう著者の力量には脱帽。個人的には第6章と終章が興味をそそった。宮崎駿の空から水への変遷、村上春樹批評。2014/03/09