目次
日本における癩の流行と消長
二〇世紀日本における癩、らい、ハンセン病への一般的な認識の移り変わり
日本の癩(らい)対策の根源的なあやまり
日本の癩(らい)対策の無為な継続
日本の癩(らい)対策その過ちの責任を問う
一般社会におけるハンセン病への関心
ハンセン病の社会啓発
名誉回復とは何か
日本の癩(らい)対策の歴史に類似する他の医療領域について
癩(らい)と知覚麻痺 疎かにされた見えないものを診ること〔ほか〕
著者等紹介
成田稔[ナリタミノル]
1927年札幌生まれ。1950年東京大学医学部付属医学専門部卒業。1951年東京大学医学部病理学教室研究生。1955年国立療養所多磨全生園医務課。1968年同園整形外科医長。1981年同園副園長。1985年同園園長。1992年国立多摩研究所所長併任。1993年退官。国立療養所多磨全生園名誉園長。2007年国立ハンセン病資料館館長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kaizen@名古屋de朝活読書会
24
#説明歌 科学技術社会の誤解に無力かと人は人なり「いのちの初夜」を 2018/01/31
Schuhschnabel
1
『日本の癩(らい)対策から何を学ぶか』の続編。前掲書では癩(らい)対策の当事者であった療養所の医師や内務省・厚生省の官僚、患者の動きを中心に展開されているが、本書では、国の政策に振り回されつつもそれに批判の声を上げなかった国民一人ひとりに問いかける場面が多い。癩予防法改正の際に、離島隔離案を却下した潮恵之輔衛生局長のように光田を諫める存在がなぜいなかったのかと思えば、安達謙藏内相を固めていたからなのか(予防課長の高野六郎も)。黒川温泉ホテル宿泊拒否事件は全く他人事ではないと今実感する。2021/06/23