出版社内容情報
戦後最大の思想家、吉本隆明。だが、その思想は「正しく」理解されていたのだろうか。難解な吉本思想とその特異な読まれ方について、明快に論じ切る!
内容説明
吉本隆明。戦後最大の思想家?本当だろうか?「学生反乱の時代」には、多くの熱狂的な読者を獲得し、少なからぬ言論人や小説家が多大な影響を受けた。だが、その文章は「正しく」読み取れていたのだろうか。その思想は「正しく」理解されていたのだろうか。難解な吉本思想とその特異な読まれ方について、明快な筆致でずばりと論じ切った書き下ろし評論。
目次
序章 「吉本隆明って、そんなに偉いんですか?」
第1章 評論という行為
第2章 転向論
第3章 「大衆の原像」論
第4章 『言語にとって美とはなにか』
第5章 『共同幻想論』
第6章 迷走する吉本、老醜の吉本
終章 「吉本隆明って、どこが偉いんですか?」
著者等紹介
呉智英[クレトモフサ]
1946年、愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業。評論家。知識人論からマンガ評論まで、幅広い分野で執筆活動を展開(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
harass
69
以前からこの戦後最大の思想家とされる吉本への批判や違和感を表明していた著者による、描き下ろしの批判本。吉本の著作のおかしな箇所となぜあれだけ支持を受けていたのかを考察。独特の用語・難解な言い回しは、ソーカル事件などを連想。また、今ではすっかり廃れ、彼の著作の土台になっているマルクス主義や当時の学生運動などの背景も補足解説。個人的に数冊読んだぐらいで特に印象がなく、よしもとばななの父であるとしか記憶がない。時代を超えて読みつがれることの難しさがわかる。久しぶりの著者で容赦ない批評は相変わらず。良書。2018/10/22
六点
17
ぬこ田には「吉本ばななの父親」と言う認識しかない。以前、呉智英先生は「(吉本隆明はマルクス主義の信者でないから、マルクス主義者との)論戦に於いては無敵」と言う論考を書いた事がある。実務家で漫画読みたるぬこ田においては、吉本隆明は元気なうちから「イタい人」扱いであった。ソーカル事件を引用しておられるが、批評業界においては「何だかわからんが、とにかくよし」なのであろう。ぬこ田にとっては、吉本隆明など、世間の九割と同じように読まなくても良いことで本である事は確定的に明らかになった。2021/06/21
猫丸
13
呉智英と僕の感性は近いところがある。葉山嘉樹の作品にプロレタリア文学とは無関係な感動を覚えるところなどまったく同じ。ただ大きく違うのは、呉が「治者の視線」を手放さない点にある。ここは真っ向から食い違う。昨今の流行り言葉の「経済を回す」みたいな、根本的に倒錯した感じ方だ。呉は士大夫としての自負だと主張するだろうが、アナーキーな物言いとは裏腹に最終的に「国益」の優先順位が高すぎる。利便を享受しながらそれを顧慮しないのは欺瞞だと逆襲されるだろうが、それは違う。「不作為を責める」のは議論においては禁じ手だ。2021/06/16
梟をめぐる読書
8
「大衆の原像」? お前の難解な文章のどこに「大衆」が「繰り込まれて」いるというのか。「関係の絶対性」? 思想の主観性に対して関係は客観的なものにすぎないということを強めに言ってみただけではないか。「共同幻想」? そんなもの「共同体観念」といえば当たり前のことであって、第一日本語としておかしい。いや、痛快だった! 吉本隆明ばかりでなく、戦後思想人の評価がどれほどアテにならないものか、そのせいで現代の「思想界」への参入がどれほど難儀なものとなっているか。「とりあえず吉本読まなきゃ」からの、解放のための必読書!2012/12/16
ポン・ザ・フラグメント
6
そういえばウチには著作集がある。ププッ、自分で書いて笑ってしまった。ぼくが吉本に違和感を覚えたのは遠藤ミチロウとの対談だった。ミチロウもミチロウだが吉本も吉本だ、と思ったのを憶えている。あれは何年だ?と思って調べたら83年だった。ええっ、もう33年も前なのかよ。うーむ。著者の吉本に対する違和感は、ぼくの違和感とはたぶんちがう。ここに書かれている批判は、芯を喰ってる感じがしない。揚げ足取りのレベルに終始している。しかし、こういう中途半端な本を読むと、20世紀後半日本思想を総括するような企画が必要だと思う。2016/09/20