内容説明
ラカン対脳?!―これまでラカニアンにとって脳を語ることは暗黙のタブーだった。しかし真にフロイトへの回帰を志向するなら、その神経学的基盤にも回帰せざるを得ず、要するにフロイトは元来ニューロフロイトなのだ。では、ニューロラカンを語る根拠はどこに見出されるのか。人はそこで『エクリ』におけるピンポイント攻撃というべき脳への正確な言及を思い起こすだろう。精神分析と神経科学の交錯から明らかになるフロイト的無意識のリアルとは?
目次
最後の精神分析家
夢の中のクオリア
もし意識がなかったら、神経症は存在しないだろうか?
意識・サブリミナル・無意識
精神病・シニフィアン・意味
言説の「外」―パラノイアと自閉症論の現在
もし言語がなければ統合失調症はないだろうか
死の欲動論
著者等紹介
久保田泰考[クボタヤスタカ]
1967年大阪市に生まれる。1994年京都大学医学部卒業。2002年京都大学大学院医学研究科脳統御医学系(精神科)博士課程修了、博士(医学)。この間、2000‐2001年サンタンヌ病院(パリ)精神科にて研修と臨床研究に従事。2002‐2004年ケースウエスタン大学(クリーブランド)精神科・感情障害研究部門主任研究員。現在、滋賀大学保健管理センター教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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踊る猫
21
ラカンについて学びたかったのだけれど、フロイトを学ぶべきであることを(当たり前か!)痛感させられた。脳科学を学ぶことと精神分析を施すことという水と油のような領域を接合しようとしているその心意気は立派。だが議論したいことが広がり過ぎているようで、逆に言えば論点がやや冗漫にも感じられる。本書を取っ掛かりに本格的な脳科学(ダマシオとか?)を読んで行く必要があるのかもしれない。『イノセンス』や『電脳コイル』にも言及されておりフットワークは軽く、文章は難解ではない。この本が脳科学者からどう読まれるのかに興味を感じる2017/09/22
evifrei
17
脳神経科学の見地からフロイト的無意識の理解に分け入る事を試みる。著者はラカンを補助線にフロイトを読んだという。本書で中心になるのは精神病についての記述であるが、特に興味深かったのは、統合失調症とシニフィアンの関連を論じた部分だ。著者は精神病の世界の本質を「無い」筈のシニフィアンが意識化され、患者にとっての現実に飲み込まれ、世界崩壊の兆しとなることを指摘する。脳の深い混乱により「意味」から自由になった現実界のシニフィアンの発現が統合失調症の出来事であるとの見解は、考えた事もない点であり、鮮烈な驚きを覚えた。2020/07/08
またの名
15
「精神病はもちろん、倒錯的な傾向を持ち合わせた自閉症スペクトラムの人などはラカン派の中には意外と多いものです(だからラカニアンには変人が多いのか)」と書き出す、結構ぶっちゃけた本。50年前の師の講義に基いて病を論じるラカン派に自己ツッコミを入れつつ、最新の脳科学の知見を豊富に取り上げながらも多くの心的現象がいまだ解明されない現状に冷静な視線を送る。臨床の立場をはっきり表明し、フロイトへの回帰の固持、精神分析と脳科学との接合、斎藤氏的な砕けた啓蒙、電脳コイル等を検討するアニメ批評の流れのいずれも欠かさない。2018/02/17
PukaPuka
2
精神分析について、神経科学と照合しながら論を展開していて、刺激的で面白い本。 精神分析や精神病理を語るのに哲学を援用することに辟易している向きには、オススメの一冊。この本でも哲学の参照はあるが、神経科学の文脈に耐え得るものが引用されている。 ラカンをよく知っていて、かつ精神医学に関する神経科学の論文もこれだけ書いている人は、日本には筆者しかいない。あちこちで在庫切れなので、興味ある人は本屋に急ぐべし。2018/02/22