内容説明
『エチカ』と並ぶスピノザの代表作、ついに新訳なる。破門と禁書で封じられた危険な哲学者スピノザの“過激な”政治哲学!「国家は自由のためにある」
目次
残りの旧約聖書各巻が、既に取り上げられた各巻と同じ仕方で検証される
使徒たちはその「手紙」を使徒や預言者として書いたのか、それとも教師として書いたのか、ということが考察される。さらに、使徒たちの役割とはどういうものだったかが明らかにされる
神の法が記された本当の契約書について。聖書はなぜ聖なる書物と呼ばれ、なぜ神の言葉と呼ばれるのかについて。そして最後に、聖書は神の言葉を含む限りにおいて、損なわれることなくわたしたちまで伝えられた、ということが示される
聖書は単純きわまりない教えしか説いていないこと、ひとびとを服従させることだけが聖書の狙いであること、そして聖書は神が本来どういうものであるかについては、ひとびとがそれを見習って生き方の指針にできるようなことしか説いていないことが示される
信仰とは何か。信仰のある人とはどのような人か。信仰の基礎になることが決められ、最終的に信仰が哲学から切り離される
神学が理性に奉仕するのでも、理性が神学に奉仕するのでもないことについて。そしてわたしたちが聖書の権威を認める理由について
国家体制の基礎について。個人のもつ自然な権利と、市民としての権利について。そして至高の権力の持ち主たちの権利について
至高の権力にすべてを引き渡すことは誰にもできないし、その必要もないことが示される。ヘブライ人たちの国家体制はモーセの存命中、その死後、王たちを選ぶ前はそれぞれどうなっていたかについて。この国家体制の優れていた点について。そして最後に、この神による国家体制が滅びた原因や、存続している間もさまざまな反逆にさらされずにはいられなかった原因について
ヘブライ人たちの国家体制と歴史物語から、いくつかの政治的教訓が引き出される
宗教上の事柄にまつわる権利は、すべて至高の権力の持ち主たちの管理下にあることが示される。正しい形で神に奉仕したいなら、宗教上の礼拝活動は国の平和と両立するように行わなければならないのである
自由な国家体制では、誰にでも、考えたいということを考え、考えていることを口にすることが許される、ということが示される
著者等紹介
スピノザ[スピノザ] [Spinoza,Benedictus de]
1932‐1677。オランダ・アムステルダム生まれの哲学者。父母ともポルトガルから迫害を逃れてきたユダヤ人で、父はユダヤ人居住区で貿易商を営んでいた。父の死後弟と2人で家業を継ぐが、思想・宗教上の理由でユダヤ人共同体から破門を宣告され、経営権を弟に譲り隠居。以後、オランダ各地でつつましい生活を送りながら、独自の哲学を築き上げた。1670年、『神学・政治論』を匿名で刊行するが、数年後に禁書処分となる。晩年に完成した主著『エチカ』は、当局の監視が厳しく、刊行を断念
吉田量彦[ヨシダカズヒコ]
1971年茨城県水戸市生まれ。慶應義塾大学文学部、同大学院文学研究科を経て、ドイツ・ハンブルク大学にて学位取得(哲学博士)。17・18世紀の西洋近代哲学を専攻。2011年より、東京国際大学商学部准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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