内容説明
「わたしたちが頻繁に、そして長く熟考すればするほどに、ますます新たな賛嘆と畏敬の念が心を満たす二つのものがある。それはわが頭上の星辰をちりばめた天空と、わが内なる道徳法則である。」人間の自由な意志と倫理を深く洞察し、道徳原理を確立させた近代道徳哲学の原典。
目次
第1部 純粋実践理性の原理論(純粋実践理性の分析論;純粋実践理性の弁証論)
第2部 純粋実践理性の方法論
著者等紹介
カント,イマヌエル[カント,イマヌエル] [Kant,Immanuel]
1724‐1804。ドイツ(東プロイセン)の哲学者。近代に最も大きな影響を与えた人物の一人。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』のいわゆる三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における「コペルニクス的転回」を促した。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルをつながるドイツ観念論の土台を築いた
中山元[ナカヤマゲン]
1949年生まれ。哲学者、翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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かわうそ
42
カントは道徳法則への尊敬だけが人間を突き動かすべきであると言います。感情は感性に依拠しその感性は個々人によって全く違うんですね。だから道徳法則や義務に感情というものを混ぜ合わせようと考えてはいけない。道徳法則のみが意志への規定に関与すべきです。この道徳法則は経験を排除するものだから「〜すべきである」というような定言命法の形式でなければならない。決して「〜ならば〜せよ」というような仮言命法の形式であってはならないのです。そして、善と悪を規定する前に道徳法則を置かなければいけないんですね。2023/04/15
かわうそ
40
『徳と幸福というきわめて異質な二つの概念のうちに、同一性をみいだそうとしたことである。』P119 徳というのは普遍的な道徳法則だけに基づくものなのですから幸福という主観的な条件に左右されるものとはそもそも相容れないのです。感性に依存する幸福に関して万人に共通する法則を見つけるのは不可能なことです。倫理学というものに幸福を入れ込めようとすれば混乱が生じ、結果として普遍的な道徳法則を見つけ出すことができません。この二つは必ず引き離して考えていくべきで心の傾きからの独立性こそが道徳法則の掟でしょう。2023/02/09
chanvesa
15
よくわからなかった。「そもそも道徳的な心構えは心の傾きと闘わねばならず、この闘いに道徳的な心構えが何度も敗れた後で、次第に心の道徳的な強さが獲得される」(210頁)、この考えは好き。というか普遍的。「いわんや悪人をや」の思想。カントはマリオネット、精神のサイボーグに価値を見出だしていなかった。しかし、「敗れた」という感覚が生まれるのは理性なんだろうか。石牟礼道子さんが「西洋思想や叡智がこの数十年で効力を失っている」といった趣旨の発言をこの前見た映画でおっしゃっていた記憶があるが、理性の危機なのではと思う。2015/03/24
いとう・しんご singoito2
10
人間を義務づけ、強制として働く道徳法則に隷属しないために、自己の自由と人格を高める喜びに従う必要がある、そこで最高善というニンジンをぶら下げよう、そのためには自由とともに神と不死を要請する必要がある、という議論。もちろん純粋理性批判で掲げた限度を弁えながらと言う話しなので、正直、綱渡り的な話しだと思いました。2024/04/11
ロラン
9
カントは道徳的であることと幸福であることは両立可能だと、一応言っている。しかし、本文全体の雰囲気としては、「道徳的であるためには幸福を断念せねばならない。理性的存在者たらんとするなら、幸福を諦めてでも道徳的であれ。」と言われてるような気がする。そうは言ってないんだけどね。2018/05/24