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台湾人の歌舞伎町―新宿、もうひとつの戦後史

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  • サイズ B6判/ページ数 249p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784314011518
  • NDC分類 213.6
  • Cコード C0021

出版社内容情報

〈らんぶる〉も〈スカラ座〉も〈風林会館〉も
台湾人がつくった――

終戦までの50年間、日本の統治下にあった台湾。
8万人あまりが“日本兵”として戦争に駆り出され、
戦前から日本に“内地留学”をしていた者も多くいた。

戦後、今度は一転、“外国人”として裸一貫で放り出された台湾人は
やがて駅前のヤミ市で財をなし、焼け野原に新たに構想された興行街・歌舞伎町を目指した――
初めて明らかにされる、貴重な時代証言。


【著者】
稲葉佳子 (いなば・よしこ)
1954年生まれ。法政大学大学院デザイン工学研究科兼任講師、博士(工学)。都市計画コンサルタントを経て、2008年よりNPO法人かながわ外国人すまいサポートセンター理事。2012年から新宿区多文化共生まちづくり会議委員。著書に『オオクボ 都市の力――多文化空間のダイナミズム』(学芸出版社)、『外国人居住と変貌する街』(共著、学芸出版社)、『郊外住宅地の系譜――東京の田園ユートピア』(共著、鹿島出版会)ほかがある。

青池憲司 (あおいけ・けんじ)
1941年生まれ。映画監督。監督作品に『ベンポスタ・子ども共和国』(日本カトリック映画賞)、『琵琶法師 山鹿良之』(毎日映画コンクール・記録文化映画賞)、『野田北部・鷹取の人びと』全14部(日本建築学会文化賞)、『阪神大震災 再生の日々を生きる』、『3月11日を生きて~石巻・門脇小・人びと・ことば~』、『津波のあとの時間割~石巻・門脇小・1年の記録~』ほかがある。


【目次】
はじめに――歌舞伎町、ふたつの物語
第1章 〈ルンバ〉の青春 1945-49――虚脱から再起へ
第2章 〈地球座〉から始まった歌舞伎町 1945-49――理想と停滞
第3章 「歌舞伎町」前夜 1950-54――焦燥から光明へ
第4章 “じゅく文化”の裏に台湾人華僑あり1955-64――胎動から興隆へ
第5章 台湾人が愛した歌舞伎町 1965-74――爛熟、そして変容
おわりに――再開発のなかの歌舞伎町

内容説明

“らんぶる”も“スカラ座”も“風林会館”も台湾人がつくった―終戦までの50年間、日本の統治下にあった台湾。8万人あまりが“日本兵”として戦争に駆り出され、戦前から日本に“内地留学”をしていた者も多くいた。戦後、今度は一転、“外国人”として裸一貫で放り出された台湾人はやがて駅前のヤミ市で財をなし、焼け野原に新たに構想された興行街・歌舞伎町を目指した―初めて明らかにされる、貴重な時代証言。

目次

第1章 “ルンバ”の青春 1945‐49―虚脱から再起へ(“やんちゃ”少年、内地へ留学する;ヤミ市から始まった戦災復興 ほか)
第2章 “地球座”から始まった歌舞伎町 1945‐49―理想と停滞(鈴木喜兵衛が描いた理想のまちづくり;林以文、“地球座”に出会う ほか)
第3章 「歌舞伎町」前夜 1950‐54―焦燥から光明へ(“博覧会”という宴のあと;駅前の“ヤミ市”去って、歌舞伎町に“青線”来たる ほか)
第4章 “じゅく文化”の裏に台湾人華僑あり 1955‐64―胎動から興隆へ(“じゅく文化”は名曲喫茶から;娯楽のまちと暮らしのまち ほか)
第5章 台湾人が愛した歌舞伎町 1965‐74―爛熟、そして変容(華僑ストリートになった花道通り;歌舞伎町の“ザ・台湾人華僑”たち ほか)

著者等紹介

稲葉佳子[イナバヨシコ]
1954年生まれ。法政大学大学院デザイン工学研究科兼任講師、博士(工学)。都市計画コンサルタントを経て、2008年よりNPO法人かながわ外国人すまいサポートセンター理事。2012年から新宿区多文化共生まちづくり会議委員

青池憲司[アオイケケンジ]
1941年生まれ。映画監督。監督作品に『ベンポスタ・子ども共和国』(日本カトリック映画賞受賞)、『琵琶法師山鹿良之』(毎日映画コンクール・記録文化映画賞受賞)、『野田北部・鷹取の人びと』全一四部(日本建築学会文化賞受賞)ほかがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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R

26
歌舞伎町成立に台湾人が非常に大きな役割を果たしていた。戦後昭和の勃興期に、三国人として台湾人が歌舞伎町で一旗あげると奮闘していた様子や、文化醸成について描かれていた貴重な内容を含む本でした。戦後昭和史として極めて重要な内容で、どのようにして新宿が再開発されていったかというルポは読みごたえたっぷりでした。今ではその面影も少なくなっているようですが、ある町が起こるというところに、様々な人たちが関わっていたという記録は興味深い内容だったと思います。2018/02/15

犬養三千代

8
林以文という台湾人を中心とした戦後の新宿の形成を描くルポルタージュ。戦前の留学、戦争による破壊から独力で他国となった場所での奮闘はめを見張る。 パチンコ、ラブホテル、歌声喫茶(名曲·音楽·演奏·画廊·民芸、、またまだ喫茶店よ種類がある)、劇場、などのカルチャーにも台湾の人のエネルギーがある。 「大人(だいじん)」という表現の似合う育ちのいい台湾人の懐は深いなと。文化面では歌舞伎劇場がもしできていたら日本舞踊、歌舞伎、箏曲、三味線などの分野もあったかもと思う。 2019/03/23

DEE

8
歌舞伎町は月に一度行くか行かないかだけど、あの辺りが…とか絵が浮かんでくるので読んでいて楽しかった。 戦後にアメリカの統治下にあった日本人には色々と制限があったが、台湾人は第三国人として制限もなく闇市で莫大な資産を築く者が出てくる。 日本人が都市計画した歌舞伎町に台湾人のエネルギーが加わって今に至る。 無尽やら独自の金融機関やらと、やはり異国における同国人の結びつきは強かったのだろう。 まさに街に歴史あり。2018/05/27

Akira Suzuki

5
教科書には決して載ることのない、戦後史・裏面史。歌舞伎町の戦後の発展は台湾人が担ったという埋もれかけている事実のルポ。今証言者から聞かなければ時の経過と共に闇に消えてしまうような話。早過ぎても語られなかった事実もあるだろう。当事者や関係者が故人にならなければ言えない話がきっとあったはず。また本当はもっとドロドロとしたストーリーだったのだろう。この界隈の昔をよく知る人にとっては無性に懐かしくてせつないのではないだろうか。これを紀伊国屋書店が出版しているところに意義がある。2017/11/08

mako

4
登録漏れしていたので読み終わった日が不明、、 新宿界隈は活動エリアなので読んでいて面白い。武蔵野館ってこうして考えるとあらためて歴史ある場所なんだなと実感した。2020/12/16

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