中公クラシックス
鈴木貫太郎自伝

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  • サイズ B40判/ページ数 329p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121601407
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C1295

出版社内容情報

海軍将校出身で侍従長や枢密院議長、果ては総理の椅子に座り、「大日本帝国」の最期を看取った男。知性と逸話に恵まれたその一生

内容説明

未曽有の敗戦を小さな混乱で収めた宰相の手腕。不遇や窮地に動じることなく、静かに努力する男。

目次

命拾ひの話(三歳の時)
堺の陣屋の話(明治初年)
彰義隊の叔父(幼年時代)
関宿への帰郷(明治五年)
近藤塾の話
父と母の話(幼年時代)
昔の教育
命拾ひの話(第二、第三、第四話)
小学校
中学校〔ほか〕

著者等紹介

鈴木貫太郎[スズキカンタロウ]
1867~1948。明治~昭和の海軍軍人、政治家。海軍兵学校卒業後、日清・日露戦争に従軍。諸艦の艦長、水雷学校校長を務める。海軍大学校卒業後、ドイツに留学。海軍次官時代にシーメンス事件の処理を担当し、軍令部長を経て侍従長、枢密顧問官を歴任し、昭和天皇の信頼を得る。二・二六事件では襲撃を受けるが危うく一命をとりとめた。のち、枢密院議長を経て内閣総理大臣に就任。最小限の混乱で日本の太平洋戦争を終戦へと収めた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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壱萬弐仟縁

11
自伝とはいえ、戦争しかしていなかった時代に生きておられるので、戦争の話ばかりしか出てこないようだ。これは、戦争を知らない私が抱く率直な感想。古市憲寿氏の近著を読んでみたいが、今の尖閣諸島や竹島問題を、生きていたなら、鈴木氏はどう思っただろうか。奉公十則では、「言行一致を旨とし議論より実践を先とすべし」(202頁)。福沢諭吉の実学のようである。「自己の力を知れ、驕慢なるべからず」(同頁)。ごもっとも。2013/08/19

軍縮地球市民shinshin

6
終戦時の首相鈴木貫太郎の自伝。ただし出生から226事件までしか語られていない。鈴木は生粋の海軍軍人としての経歴を歩んできたが、海軍次官や侍従長を経験して、意外と政治面でも活躍している。だから昭和天皇が戦争を終わらせることができるのは鈴木しかいないと思われて懇願したのだろう。鈴木はぎりぎり江戸時代の生まれで、漢学の教養が豊富にあった。軍人勅諭を守り、軍人は政治に口を出してはいけないことを信条にしていた。また東郷元帥に倣って国際法を重んじている。この点が昭和の軍人との大きな違いだろう。2015/03/26

大道寺

6
海軍軍令部長を経て侍従長へ、二・二六事件では襲撃を受けるが一命を取り留め、内閣総理大臣として太平洋戦争を終わらせた、鈴木貫太郎の自伝(ただし口述筆記されたもの)である。読者の関心は恐らく、二・二六事件と太平洋戦争終戦であろうが、後者に関しては「自伝」内にはない。東京裁判の決着が未だつかぬ中、終戦の事情を正直に語ることが難しいうちに、1948年、鈴木は没した。その代り、校訂者による簡単な説明が付けられている。/(1/3)2013/07/20

あんころもち

1
この本で致命的な欠陥があるとすれば、2・26事件までの分しか書かれていないということだ。鈴木貫太郎と聞いてまず思い浮かぶであろう終戦工作の部分が書かれていない。(東京裁判との関係上仕方ないが) しかし、それを考慮しても面白い。日清・日露戦争を海兵として戦い、その後の大正デモクラシーの中で政権と対峙した男の視点から語られるのがそそられる。何か新しいことを学べるという訳でもないが、政党政治への不満はいつの時代も変わらないんだなぁと。2013/12/29

まつだ

0
日本海軍に水雷戦術を導入、確立した鈴木貫太郎の自伝。嘘です。終戦時内閣総理大臣で、就任からポツダム宣言受託までの終戦工作を昭和天皇の期待の元、見事に遂行した。 この自伝は就任前の昭和19年8月までに行われたインタビューをまとめた一冊。最近発刊されたのに全文正書体なのが驚き。2016/01/23

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