新潮選書<br> 日本語のミッシング・リンク―江戸と明治の連続・不連続

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日本語のミッシング・リンク―江戸と明治の連続・不連続

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  • サイズ B6判/ページ数 303p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784106037443
  • NDC分類 810.2
  • Cコード C0381

出版社内容情報

同じ日本語なのに江戸時代と現代では、なぜこんなにも違うのか? 「中間の時代」である明治期に注目し、言葉が変りゆく現場を探る。

同じ日本語なのに、江戸時代と現代では、なぜこんなにも違うのか? ――「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」―例えば、この芭蕉の言葉も現在の日本語とはずいぶん違う。では、いつ、どのように変化を遂げたのか? 「中間の時代」である明治期に注目し、「漢字・漢語=漢文脈」をキー・ワードに、その“断層”を探る。言葉が変りゆく現場を実感する、国語学のユニークかつ精緻なる冒険!

内容説明

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」―例えば、この芭蕉の言葉も現在の日本語とはずいぶん違う。では、いつ、どのように変化を遂げたのか?「中間の時代」である明治期に注目し、「漢語・漢字=漢文脈」をキーワードに、その“断層”を探る。言葉が変りゆく現場を実感する、日本語学のユニークかつ精緻なる冒険!

目次

序章 江戸の教育における漢語・漢字
第1章 明治初期―漢洋兼才の人々
第2章 通俗と訓蒙―漢文脈からの離脱
第3章 仮名専用論者がつくった近代国語辞書
第4章 洗練されていく英和辞書
第5章 言文一致―今、ここのことば
終章 森鴎外と夏目漱石

著者等紹介

今野真二[コンノシンジ]
1958年神奈川県生まれ。86年早稲田大学大学院博士課程後期退学。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。専攻は日本語学。主な著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Koning

19
つい先日読んだ「かなづかいの歴史」の著者による江戸末期から明治期の日本語の大きな変動を漢語・漢文というキーワードにさまざまな資料通してどう変化したか?という本なのだけれど、まぁ漢語の熟語の順番がひっくり返ってるのがあったり、かな文字会、ローマ字会に言文一致運動なんてのもあったり、その辺色色な人たちが色々な試みを行っていてなんとも楽しい時代。ルビの降り方も左右で違うルビがついてたりとかまーみんな凄い工夫しまくりですよ。と、そういうのも含めて今の我々の日本語の表記はどうよ?というトコまで考えるきっかけに(続く2014/04/16

がっちゃん

2
「言文一致」の参考に。2015/06/17

Teo

2
高校の国語史で習ったかすかな知識では平安時代の古語から変遷があって、江戸時代には大分近づいて来ていて、次にいきなり明治の言文一致運動があって、言文一致した筈なのに戦前の文章って文語文じゃないか、と言う感じだった。それにしてもこの本で取り上げられた様に、江戸時代→言文一致は改めて考えてみると凄い飛躍であり、この本が取り上げてくれたおかげでその変わり様がこんな試行錯誤をしたのだなと分かる。現在は一応の安定期だろうか。勿論言語は常に変化しているので、このままではなかろうが。2014/04/23

みそさざえ

1
江戸と現代の言葉の不連続。なんとなくいつも引っかかっていた問題意識だが、まだ解けたとは言えない。もう少し他も読んでみたい。2014/10/15

katashin86

1
和語・雅語・漢語がないまぜの世界から「今、ここで使われている語のみを使う」言文一致の世界へと移り変わることは間違いなく必要だった。 ただ、そのことでないまぜの世界で形成されてきた近世までの日本文学への距離が遠くなってしまったのは、やはり残念なことである。2014/07/16

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