内容説明
脚本家として独立して二年、姉向田邦子はやっと探していた“なにか”をつかみかけていた。惜しみなく愛情をそそぎ、あたたかく見守られながら。急逝の直後に見つかっていた向田邦子の手紙とN氏の日記、そして妹和子の回想で綴る姉とわたしの「最後の本」。
目次
第1部 手紙と日記
第2部 姉の“秘め事”(帰ることのない部屋で;遺品の整理;茶封筒のなかの“秘め事”;『父の詫び状』へのお詫び;故郷もどきへの“嫁入り”;『ままや』の暖簾をたたむ;私の知らない姉;N氏との出逢い;父のよそ見;母の率直な思い;旅先のポートレート;茶封筒を開ける;二人の死)
著者等紹介
向田和子[ムコウダカズコ]
昭和13(1938)年、向田家の三女として東京に生まれる。長姉は向田邦子。実践女子短期大学を卒業後、保険会社などに勤務。その後、喫茶店経営を経て、姉邦子とともに東京赤坂に惣菜・酒の店『ままや』を開店。『ままや』は平成10年3月、20年間の営業を経て閉店
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
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やも
82
向田邦子さんの本を読まずしてこちらを読むのは早すぎた。私が読んでもいいですか?と戸惑うくらい、あまりにも庶民的だったN氏と大切にしていた時間。愛してるだの、直球で語る言葉はないのに、その全てに愛がたくさん。…ファンには嬉しい一面が、私にはなんだか知ってしまうのが申し訳なく感じてしまった。お亡くなりにあったあとの家族間の話し合いも、変に知りたくなくて途中で読むのを止めた。2025/03/23
明るい表通りで🎶
69
昭和56年8月22日、土曜日、台湾旅行中、航空機事故で急逝した、向田邦子。彼女がN氏へ宛てた手紙とN氏の日記が、茶封筒に入った状態で、遺品から見つかる。9歳離れた妹の和子が感じたことなどを記した本。キリリとした目鼻立ち、心の強さを感じさせる眼光、カメラマンN氏が撮ったであろう写真も掲載。心を許したN氏に宛てた素顔の手紙に向田邦子の新たな一面をみることができる。心友・親友だった黒柳徹子が、向田邦子の部屋に入り浸り、ご馳走になったりした時、N氏が撮った黒い帽子を被った向田邦子の写真を眺めていたことを思い出す。2025/08/14
吉田あや
63
なんと見事な人だろうか。知れば知るほど魅力が溢れ出す向田邦子という人の途方もない格好良さに、本を閉じて暫し惚ける。向田邦子が亡くなった昭和56年。姉の遺品整理をしていた妹である著者・和子さんが母から託された茶封筒には、姉とその愛する人であったN氏との手紙と日記が入っていた。数年後に開封したことを端緒に和子さんが謎多き姉・邦子を回顧していく。(⇒)2024/01/25
明るい表通りで🎶
55
「秘密のない人って、いるのだろうか。誰もひとには言えない、言いたくない秘密を抱えて暮らしている。そっとして、こわしたくない秘密を持ちつづける。日々の暮らしを明るくしたり、生きる励みにしたりする。そんな秘密もある。秘密までも生きる力に変えてしまう人。向田邦子はそういう人だった。N氏と秘密を共有し、人生のよきパートナーとして、お互いを頼りにし、寄り添い合って、ある時期を生きた。彼が病気で倒れてからは、二人の絆と信頼はさらに深く、強くなったに違いない。」向田邦子が、突然亡くなるまで、持ち続けた手紙と日記。2025/08/14
つちのこ
46
向田邦子の作品をある程度読んでから、著者が書いたものに取りかかりたかったが、誘惑に負けてしまった。N氏との往復書簡や日記は、お互いのさりげない日常を淡々と描いているようで、その中身は赤裸々で濃密なものとして迫る。邦子の死後露見したN氏との関係が広く知られたからこその先入観が、その空気を感じ取ってしまったのだろう。生涯独身を貫いた家長としての清廉潔白な邦子の姿も実像なら、N氏に寄り添うかわいい女の姿もしかり。幕引きとなった死と自らのドラマチックな人生を、見事な脚本に作り上げた向田邦子の魅力は永遠に失せない。2024/12/09