出版社内容情報
民主主義的理想を掲げたえず軽薄な言動をとっては弁明し、結果として残酷な事態を招来しながら、誰にも憎まれない青年アリョーシャと、傷つきやすい清純な娘ナターシャの悲恋を中心に、農奴解放を迎え本格的なブルジョア社会へ移行しようとしていたロシアの混乱の時代における虐げられた人びとの姿を描く。人道主義を基調とし、文豪の限りなく優しい心情を吐露した抒情溢れる傑作。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ケイ
148
原題は、踏んだり蹴ったり·····のような意味らしい。ロシアで最も大衆に読まれている作品というのに納得。エンタメ要素ががすいすいと読ませる。ドストエフスキー入門編として、分厚さにめげずに読む人が増えたらいいな。しかし、彼の人間観察の素晴らしさは既にここにもある。貴族であるアリョーシャやカーチャは幸せになれるか? ナターシャは不幸か? それについては、ページの最後から10年先を見据えれば自明だろう。無邪気さが誠実を伴わなければ、ただの無責任となる。続く先には、チェーホフの「桜の園」があるのではないか(続く)2019/09/14
さゆ@俳句集販売中
127
貴族階級の社会的虐待と労働階級の憎悪の連鎖について、慟哭と求愛を目論んだ作品。「親切な人はね、誰かに何かしてもらったからなんてことは考えないんだよ。困っている人を助けるのが好きなんだ。君がそう言う人に必要な時に出会わなかったことが、君の不仕合せだったのさ。」という台詞が良かった。最近は引きこもりに視点があたることが多い。支援施設は数あれど、もっと一般の人が親切にすることで社会への不信感を拭い、この世に良心はまだあると知って貰うことが必要だと思う。そこで、人々は心の再スタートを切ることができるのではないか。2023/12/23
青蓮
115
約700頁の大作。ドストエフスキーは読み切ると強い充実感があります。本作はドストエフスキーの作品の中でも比較的読みやすい部類に入ると思います。悪い意味で天真爛漫なアリョーシャと清純なナターシャ、聡明なカーチャの三角関係、金の為なら身内を売ることも厭わない公爵と孤児のネリーの間を奔走するワーニャ。親子の確執、人を愛すること、赦すことの難しさなど、濃密な愛憎劇が繰り広げられ、とても惹き込まれました。アリョーシャの態度には苛立ちを覚えたけれど、彼は人の愛し方を知らなかったのかも。ワーニャには幸せになって欲しい。2016/10/17
のっち♬
81
娘が男のために家族を捨てたことが発端となって起こる二組の悲話。序盤は登場人物の長広舌が多くて冗長さを感じるが、後半は二つの筋が次第に絡み合ってクライマックスを形成し、その語り口は円熟味を感じさせる。混迷を極めた社会の片隅で虐待される貧しい子供をリアルかつ克明に描いており、ネリーの挿話や健気な言動は読み手の胸を締めつける。「世界のすべてが滅びようとも、我々だけは決して滅びない」という虐げる人の「露骨な」エゴイストぶりも圧巻。温かい人情が滲み出た作品だが、「愛した全ての人に見棄てられ」たという語り手が哀れだ。2018/06/06
i-miya
57
2014.02.03(01/25)(つづき)ドストエフスキー著、小笠原豊樹訳。 02/03 (p028) 22歳、公爵。 1コペイカの金も残っておらず、「名門の裔、憐れや、素寒貧」状態。 人生のスタートが、このありさま。 それを取敢えず救ったのが結婚。 相手は販売請負人の娘-既に薹が立ってはいたが-であった。 公爵は、その金でその新妻の持参金で先祖伝来の領地を買い戻すことができた。 しかしその娘、読み書きができず、口下手で、器量も悪い。 ただ一つ、善良で従順という大きな長所があった。 2014/02/04