内容説明
時代は移り変わっても、宮澤賢治の残した詩や散文の数々は日本のロマンの、ひとつの到達点を教えてくれる。農学校教師、農民芸術運動家としての賢治はよく知られるが、肥料の炭酸石灰、建築用壁材料のセールスマンとして、東へ西へと駆け回っていた最晩年近くの姿はあまり知られていない。賢治が生涯にのこした膨大な書簡から、オロオロと歩きながらも、生活者として必死に生きようとしたサラリーマン・賢治が、浮かび上がってくる。
目次
第1章 石っこ賢さん(賢治の先祖は大工;石っこ賢さん;盛岡高等農林学校 ほか)
第2章 東北砕石工場(農学校教師となる;音楽に親しむ;農民願望 ほか)
第3章 技師兼セールスマンとして(挫折の傷跡;東蔵の宮澤家訪問;炭酸石灰の広告を作成 ほか)
著者等紹介
佐藤竜一[サトウリュウイチ]
1958年、岩手県生まれ。法政大学法学部卒。編集者、ライター。岩手県の郷土出版物の編集のかたわら、日本、中国の近現代史、宮澤賢治についての執筆活動をつづける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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メタボン
13
☆ 雨ニモマケズはこうして生まれたのか。2013/03/10
しゅー
5
★★『宮沢賢治の真実』の副読本として読む。宮沢賢治は『雨ニモマケズ』の印象から、勝手に「清貧の人」をイメージしていたのに、親が資産家で教師時代は東京者にも負けない高給取り、だったのねぇ。あと法華経信者の一面は知ってたけれど、事業に奔走する姿は初めて知った。そう言えば映画もやってたわ。2023/06/21
takao
4
ふむ2024/05/15
冀望
2
賢治をただの作家と思うなかれ。石マニアで高学歴の地質学専門家。石での事業に夢をはせた、晩年は技師兼サラリーマン。故郷の貧困を救うために戦った苛烈なサラリーマン生活が、雨ニモマケズを作ったのだ。2010/11/11
マウンテンゴリラ
1
宮沢賢治が生前、文学者としてほとんど知られることもなく、自身も職業文人であるという意識がなかったであろうことをあらためて認識させられた。このことがかえって賢治の作品の素朴な輝きを生む力になっていたのではないだろうか。庶民として、サラリーマンとしての生活の中で、仕事に対する情熱と日常生活における多様な好奇心や精神的向上心がいかに大切であるかを教えてくれる一冊であると感じた。2011/12/03