集英社新書<br> ブッダは、なぜ子を捨てたか

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集英社新書
ブッダは、なぜ子を捨てたか

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  • サイズ 新書判/ページ数 222p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784087203516
  • NDC分類 182.8
  • Cコード C0214

出版社内容情報

子殺し親殺しの時代、ブッダは私たちにいったい何を語りかけてくるのか?
わが子に゛“悪魔(ラーフラ)”と名付け、妻子を捨て家を出た若き日のブッダ!宗教学の第一人者がこの謎を追い、ブッダの思想の真髄を解き明かす。

内容説明

北インド・シャカ族出身の王子でありながら、自らの子に“ラーフラ(=悪魔)”と名づけ、さらに妻子を捨て、一族を捨てて家を出た若き日のブッダ!この仏教最大ともいえる謎に、宗教学の第一人者が挑む。そこから浮かび上がってきたのは、日本の仏教とはあまりに隔絶したブッダその人の思想であった。少子高齢化の時代を生きる二十一世紀の日本人にブッダは何を語りかけてくるのか。いまの日本にブッダを呼び戻し、その教えの真髄に迫る画期的な試み。

目次

第1章 ブッダは、なぜ家を出たのか(「家出」にはじまる;理想の人生 ほか)
第2章 ブッダは、なぜ子を捨てたか(シャカも、捨て子同然であった;親を失った子どもに未来はあるか ほか)
第3章 ブッダの思想の真髄とは、どのようなものであったか(わが骨にかかずらうな;アーナンダの裏切り ほか)
第4章 ブッダの教えは、日本へどのように広まったか(アジアの周辺の国々へ;旅をする僧たち ほか)
第5章 ブッダは今、どこにいるのか(ブッダの姿をさがして;今なら死ねるか ほか)

著者等紹介

山折哲雄[ヤマオリテツオ]
1931年生まれ。岩手県出身。東北大学文学部卒業。東北大学文学部助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授・所長を経て同名誉教授。専門は宗教史、思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

月讀命

51
「なぜ子を捨てたのか?」の明確な解答については、詳しく述べられていない。仏陀自身にしか解らない心の内である。色々な憶測をしてみても、生まれた子供にラーフラ「悪魔」と名付け、その日に妻子を捨てて家出した。そんな事が出来ようか。・・・妻の産んだ赤子が自分の子供でないと判って「悪魔!」と叫び、自暴自棄になり家を飛び出した父親。その後、修行を重ね自分自身も大人になり、非嫡出児を認め教団に受け入れたの様なものではないか。そんな風に考えるのは邪推であろう。仏教についてではなく、人間「仏陀」について興味深く読めた。2011/02/25

SOHSA

28
《購入本》ブッダの足跡と思想、伝播を著者独自の視点で説く。悟りの前後におけるブッダの行動と心理分析は人間ブッダの姿をありありと読み手の眼前に立ちのぼらせる。また、ブッダの思想と初期仏教、日本仏教のそれぞれの違いと変遷した理由を明瞭に解説している。多分に著者の私見が含まれているが、それを差し引いても著者の言説はなかなかに興味深い。なるほど日本仏教はブッダの思想とは全く関わりのないものであり、各宗派の開祖の思想に仏教という蓑を着せているに過ぎないのか。現代日本の僧侶はそれをどのように考えているのだろうか。2019/12/03

出世八五郎

8
前半半ばまでは退屈。拾いは、シッダルターがカーストに絶望しカーストを崩すのは不可能と思い極め、それを超越する道を選んだという推測。それは善悪を超越したい願望と重なります。シッダールターが仏教を開いたのは、カーストを超越する為です。

kana

5
タイトルの『ブッダは、なぜ子を捨てたか』に対し、読了後に考え出した答えは、ブッダには子供が自分の欲の結果・また欲を生み出す存在に思えたからではないだろうか?というものだった。2017/05/30

那由田 忠

5
 他の人も不満を述べているように、山折哲雄はいろいろ語るが、タイトルの答が見えてこない。なぜラーフラという「悪魔」という名前を子供につけたのか。無我と無私がどう違うのか。簡単に触れるだけてきちんと説明をしない。答を思いつかないのか、この程度を語れば読者が分かると思っているのか。話が仏教に関わる雑多な点に拡散するばかりなのが難点。  ガンディーを否定してカーストに挑み新仏教としてヒンドゥーから出たアンベードカルやら、日本山妙法寺の藤井日達について書かれてあるのが参考になった。調べてみたい。2012/03/14

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