講談社現代新書<br> 海の向こうから見た倭国

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講談社現代新書
海の向こうから見た倭国

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  • サイズ 新書判/ページ数 304p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784062884143
  • NDC分類 210.32
  • Cコード C0221

出版社内容情報

逆さまに見ると、歴史の本当の姿が見えてくる。倭と朝鮮半島の交流を朝鮮半島側から描くことにより、当時の倭の実情を明らかにする。 倭も百済、新羅、加耶などの朝鮮半島の国々の歴史も、従来は、すでに国が存在するものとして語られてきました。強力な権力を有する中央(倭の場合にはヤマト王権)が鉄などの必需品の対外交易を一手に掌握し、地方の権力者に分配していたというイメージです。
 しかし近年の日韓両国の考古学の進展により、事実はそれよりももっと複雑だったことが明らかになってきました。
 日本の古墳からは朝鮮系の遺物が、朝鮮半島の古墳からは倭系遺物が数多く出土しています。のみならず、朝鮮半島南西部には倭独自の古墳である前方後円墳が築かれた時期さえありました。両者の交易は多様で、その中心をになったのは「中央」ではなく、むしろ大小様々な地方の勢力だったのです。
 対外交易ルートをヤマト王権が手中に収めたのは通説よりもかなり遅い六世紀の前半で、北九州の「君主」だった磐井を倒したことによって、ようやくその長いプロセスは完成した、そう著者は考えます。
 倭一国の中だけを見ていては見えないことが、朝鮮半島という外部の目を使うことによって見えてくる。歴史研究の醍醐味を味わうことのできる1冊です。

序章 あらたな日朝関係史をめざして
第一章 韓と倭のつながり──弥生時代後半から四世紀
第二章 多様化する関係──五世紀前半
第三章 王権の興亡と関係の再編──五世紀後半から六世紀前半
第四章 朝鮮半島の前方後円墳が語ること──栄山江流域と倭
終章 日朝関係史と現在、そして未来


高田 貫太[タカタ カンタ]
著・文・その他

内容説明

倭一国だけ見ていては見えないことが、朝鮮半島という「外部」の目を使えば見えてくる。古墳時代の日韓交流は、従来、倭も百済、新羅、加耶など朝鮮半島の国々も、強力な権力を有する中央(倭の場合にはヤマト王権)が鉄などの必需品の対外交易を一手に掌握し、地方の権力者に分配していたと考えられてきた。しかし近年の日韓両国の考古学の進展により、事実はもっと複雑だったことが明らかになった。日本の古墳から朝鮮系の遺物が、朝鮮半島の古墳からは倭系遺物が数多く出土する。のみならず、朝鮮半島南西部には倭独自の古墳である前方後円墳が築かれた時期さえもあった。両者の交易は多様で、その中心を担ったのは「中央」ではなく、大小様々な地方の勢力だったのだ。対外交易ルートをヤマト王権が手中に収めたのは、通説よりもかなり遅い六世紀の前半。北九州の「君主」だった磐井を倒したことで、ようやくその長いプロセスは完成した。新世代の研究者による斬新な研究アプローチ。歴史研究の醍醐味を味わうことのできる1冊。

目次

序章 あらたな日朝関係史をめざして
第1章 韓と倭のつながり―弥生時代後半~四世紀
第2章 多様化する関係―五世紀前半
第3章 王権の興亡と関係の再編―五世紀後半~六世紀前半
第4章 朝鮮半島の前方後円墳が語ること―栄山江流域と倭
終章 日朝関係史と現在、そして未来

著者等紹介

高田貫太[タカタカンタ]
1975年生まれ。岡山大学文学部卒業、同大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。大韓民国慶北大学校考古人類学科博士課程修了。文学博士。現在、国立歴史民俗博物館研究部准教授・総合研究大学院大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

へくとぱすかる

64
文献からではなく、考古学を通して歴史を再築する試み。弥生~6世紀まで、ほとんど文献の引用はなく、ひたすら発掘資料、発掘地の地理によって、朝鮮半島と日本列島の動きをとらえる。一貫して「国」ではなく「社会」と表記されていることが新鮮。古代国家として統一されているわけでもなく、そもそも国と言えるのかどうか(定義の問題でもある)を思えば、地域社会相互のつながりと考える方が理にかなっている。「任那支配」が現在の歴史学で否定されているのも当然だろう。2017/02/26

小鈴

33
興味深い内容なのに読むのにかなり手間取りました。その理由は明快で朝鮮半島の地理をわかっていないから。章ごとに韓国と日本の遺跡をすべて載せた地図が欲しい。自分が想像していたより古墳時代は半島との行き来があり、外交も大和王権が独占しているわけでなく北九州地域や吉備地域などとも。かならずしも百済というわけでもなく新羅とも。列島にも半島の古墳があったり。半島の統一の影響で列島の外交を大和王権が押さえていったり。半島からの介入があったり(新羅介入の磐井の乱。これにより北九州地域の外交が大和政権の手に落ちる)。2019/10/23

kk

28
いわゆる古墳時代の日朝関係について、半島の側から列島を眺める視点、中央政権だけでなく、半島・列島双方の地域社会が担った役割への視線、日朝間のやり取りを単なる外交としてだけでなく、より幅広い交流として見つめる視線。墓制だの葬礼だの副葬品の系統だの、本来的にめんどくさい事柄を扱っているものの、出来るだけ分かりやすく説こうという姿勢は特筆に値するんじゃないかな。日朝関係への思い入れと、古代史学者としての情熱を感じさせる。あとがきの記述が心地良かった。2019/07/06

活字の旅遊人

26
この先生の、素直な書きぶりに好感を持った。

はるわか

25
日本の古墳時代の朝鮮半島は、北に高句麗、東に新羅、西に百済と三国が割拠し、南部には加耶(金官加耶、大加耶など)が、南西部には栄山江流域に独自の文化を有する社会が位置。それらと倭は友好的な関係の確立を目的として不断の交渉(交易、使節派遣、武力の行使)を積み重ねた。北九州・金官加耶ルートから沖ノ島・金官加耶ルートへ。鉄など必要物資と先進文化の受容。半島の倭系古墳、日本の渡来人系古墳。高句麗の南下に対し百済は倭に接近、新羅は両面外交。加耶、栄山江流域の滅亡・併呑。吉備の反乱、磐井の乱、倭王権による外交権の掌握。2017/09/21

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