今夜はひとりぼっちかい?―日本文学盛衰史 戦後文学篇

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今夜はひとりぼっちかい?―日本文学盛衰史 戦後文学篇

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  • サイズ B6判/ページ数 370p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784062180115
  • NDC分類 913.6
  • Cコード C0093

出版社内容情報

戦後文学とはなんだったのか。タカハシさんの長い思索に思わぬ中断をもたらした3・11。強制終了された戦後、発見したものとは!「文学なんてもうありませんよ」

文学史そのものを小説にする「日本文学盛衰史」の次なるテーマは「戦後文学」。誰にも読まれなくなった難物を、ロックンロールやパンク、ラップにのせ、ブログやtwitter、YouTubeまで使って揉みほぐす。そんなある日、タカハシさんは「戦災」に遭う……。

オオオカ きみは死んだ。ぼくも死んだ。幸いなことに、ぼくもきみも全集は出版された。けれど、いまや、ぼくたちの読者も少ない。というか、文学そのものが風前の灯だ。

コバヤシ わかった。テレビに駆逐されたんだろう。待てよ、マンガかな。SF……ミステリー……あと、何があったっけ。

オオオカ 違うんだ、こばやし。パソコンと携帯電話だよ、文学を滅ぼそうとしているのは。

コバヤシ わけがわからん。ぱそこんに電話? それと文学にどんな関係があるの。

オオオカ アップルがマッキントッシュを発売したのが、きみが亡くなった翌年だものね。きみに理解できないのも無理はない。だが、そんな説明をする必要はあるまい。こばやし。

コバヤシ なに?

オオオカ もう、本は売れんぞ。

――「twitter上にて・続」より

高橋 源一郎[タカハシ ゲンイチロウ]
著・文・その他

内容説明

文学史そのものを小説にする「日本文学盛衰史」の次なるテーマは「戦後文学」。誰にも読まれなくなった難物を、ロックンロールやパンク、ラップにのせ、ブログやtwitter、YouTubeまで使って揉みほぐす。そんなある日、タカハシさんは「戦災」に遭う…。前作の興奮をふたたび。

目次

プロローグ 全身小説家
ラップで歌え、サルトル!
今夜はひとりぼっちかい?
政治家の文章
twitter上にて
twitter上にて・続
「革命」について
「純文学」リストラなう
アナーキー・イン・ザ・JP
サイタマの「光る海」〔ほか〕

著者等紹介

高橋源一郎[タカハシゲンイチロウ]
1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。1981年『さようなら、ギャングたち』が群像新人長篇小説賞優秀作となる。1988年『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、2012年『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞をそれぞれ受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

starbro

153
久々の高橋 源一郎です。著者の本なので、単純な文学論だとは思いませんでしたが、内田裕也の政見放送 https://www.youtube.com/watch?v=3BLp1IUEkik 、埼玉のラッパー、東日本大震災等、カオスのテンコ盛りでした。本書を読んだら、日本文学の第一人者、池澤 夏樹は激怒するかもしれません(笑)2018/11/05

ころこ

41
読者の資格はただ二つ。①日本語が読める②平成生まれである。「先生、さっきからおっしゃっている、ドストエフスキーって誰ですか?」そんな平成生まれの読者に語るために、戦後文学の再定義を行っています。作者の同世代に対して、戦後文学の真ん中を語るのはたやすい。若者は文学を必要としていないようにみえます。しかし、彼らにも文学は必要だ。今まで文学といってきたものが若者から文学とみなされていないからだ。他方、我々が戦後に文学といってきたものとは何んだったのか。これは、文学と文学でないものの境界はどこにあるのかの話です。2018/12/21

yumiha

36
塔短歌会の講演後に購入。日本文学盛衰史としては、明治から一気に戦後⁉大正や戦前はないのねん。ミリオンセラーが少なくなった現在の状況から、「音楽は細分化の道を歩んだ」ちゅう高橋源一郎の指摘は、私も感じてきたこと。多彩なセミプロミュージシャンが林立しているちゅう感じ。映画も書籍も同じ状況だと思ふ。視聴者も読者も嗜好が細分化していて、それを共有する場だけで盛り上がって満足しているような。「コンテクスト消費」という時代なんだと思ふ。2019/09/23

踊る猫

29
当たり前だが、天災と戦災は違う。自然現象と人為的に起こされた現象は断じて違う。だが、高橋源一郎は両者を意図的に同じと見做してそこから静かな怒りあるいは憤りを、あくまで穏やかな口調で語る。高橋源一郎がものを書く動機/読む動機はもしかすると、この「静かな怒りあるいは憤り」なのではないかとも邪推する。誰もが口を揃えて敬して遠ざける「文学」を守りたいから……「ことば」が蔑ろにされる現場を見てしまうから? いつもながらポップでスマートな作風で読みやすく、詩的に綴る技量は流石。題材が題材な分悪ふざけも控え目と思われる2021/01/31

かふ

18
『日本文学盛衰史』の続編だけどブルセラ店長の石川啄木やAV監督の田山花袋のようなキャラは出てこないのです。文学伝道師のタカハシさんが「戦後文学」を探しに行く。絶滅危惧種となってしまった戦後文学作家たち。プロローグで原一男監督の『全身小説家』をゼミ生と鑑賞する授業風景。『全身小説家』の冒頭で井上光晴がストリッパーになって「私」をさらけ出す。体育会系文学道場のノリで。文学を問うて問うて問い続ける精神主義的な文学。二つの文学講義の違い。もはやイノウエミツハルは誰も読んだことがない。タケダタイジュンも知らない。2018/09/15

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