内容説明
古事記では死んで黄泉に行くイザナミが日本書紀では死なない―両者を別の神話として読む画期的論考。
目次
第1章 本居宣長『古事記伝』をめぐって
第2章 中世の『日本書紀』
第3章 古代天皇神話
第4章 『古事記』の神話的物語―ムスヒのコスモロジー
第5章 『日本書紀』の神話的物語―陰陽のコスモロジー
第6章 多元的な古代天皇神話
第7章 神話の一元化
第8章 近代国家における『古事記』『日本書紀』
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
モリータ
13
長らく積読になっていたのを、チャンスが来たので消化。(共通)神話があるという仮定に引きずられずにテクストに即して古事記・日本書紀を読むべし、というのは、二つの物語の枠組みの違いが分析されるとなるほどと思った。『日本書紀』が中国に対する公式文書としてある、という前に知ったこととどう関係するのかと思いながら読んでいたが、それに関わる内容も盛り込まれてあった。自分で『日本書紀』を素直に読んでみて違いがわかると面白い読書体験になるかもしれない。2016/01/18
mstr_kk
9
『古事記』と『日本書紀』が、まったく異なるコスモロジーにもとづく、別々の神話であることが説かれます。朝廷は、「日本は中国と並ぶ大国である」という帝国的世界観を作るため、9世紀から10世紀にかけて、神話を一元化しようとしたといいます。また、明治の日本は、国体論の根拠とするため、『古事記』と『日本書紀』を同じひとつの「日本神話」とみなしました。この「日本神話」に陥らないよう、著者は、『古事記』と『日本書紀』をそれぞれの内部のロジックによって読もうとします。すぐれてテクスト論的な考え方だと思いました。2022/01/04
Hiroshi
8
日本神話が書かれているという記紀。古事記では別天つ神(天之御中主神他4柱)がおり、イザナミが死に黄泉の国の話があり、3貴神はイザナギから生まれるが、日本書紀には別天つ神の記述はなく、イザナミは死なずにイザナギとイザナミの子として3貴神は生まれし、高天原さえもない。712年と720年に編纂された記紀の神話の違いをどのように説明するのか。記紀の歴史を見渡しながら考える本。古事記は江戸時代の本居宣長により再評価された。古事記伝では、古事記の漢文風ではないことばより古の穢れのない正実「もののあはれ」が得られたと。2019/12/29
じめじめ
3
古事記と日本書紀を忠実に読み解く。古事記においてイザナミは黄泉の国へゆき、天孫降臨は高天原の司令で行われるが、日本書紀においてイザナミは死なず、陽陰論を下敷きに各神が自発的に行動する。こうした差分の根本は同一神話の別の側面といったものでなく、そもそも別の神話であるとし、これまでの同一神話を前提とした時代ごとの解釈を否定していく。神話の多元性の真偽はともかく、記紀のテキストは時代に応じて解釈され、日本人の自己確証に用いられたことがよく分かる。2020/07/24
rbyawa
3
f031、とある本の参考文献として挙げられていた中の一つで正直他の本と比べてどうもいまいち抽象的、と最初の章を読んでいて思ったものの、次の章で当時の日本書紀の扱いが神仏習合として展開していて、本居宣長の『古事記伝』はその風潮に対しての批判だった、と聞くと、さすがww ああ、時代背景と一緒じゃないと意味取れないのかあの本。で、まあ日本書紀と古事記の神話をばらばらに捉え直すものの、一般的だと思われている神話の記述がところどころ確かに存在せず、今の神話理解がそもそもどこかで作られたのか、というところまでを理解。2015/02/15