内容説明
西田幾多郎(一八七〇‐一九四五)の人生。それは一人の人間の個別的な営みを超え、明治から昭和に至る奔流のただなかに姿を見せ始めた「日本」を集約し、体現するものだった。同時代の多彩な資料に基づく実証的手法によって克明に描き出される哲学者の苦悩と格闘の人生に、近代日本の成立過程に現出した幾多の問題系を照射する斬新な評伝的批評。
目次
憂鬱な人
没落する家/父
反骨の青春
内向する蹉跌
“なければならない”の性格
宗教親和性の起源
ロマンティックな苦悩
猫も死んでしまった
哲学的言文一致
外国語との格闘
慰戯としての和歌
形なきものの形を書く
無の集合論
すれちがう論争
マルクスへのアンビヴァレンツ
父殺しを試みる弟子たち
種の論理の影
右翼による攻撃の中で
人脈と軍脈
象徴化される父
著者等紹介
小林敏明[コバヤシトシアキ]
1948年岐阜県生まれ。ベルリン自由大学宗教学研究所博士号取得。現在、ライプツィヒ大学東アジア研究所教授。哲学、精神病理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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中年サラリーマン
16
哲学者西田幾多郎の人間性にせまった一冊。私生活の様々な苦労を自身の哲学に昇華するさまが描かれ、哲学者を身近に感じられた。2014/01/26
Ikkoku-Kan Is Forever..!!
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東洋思想の「胡散臭さ」について興味があるんで、本書の十二章「形なきものの形を書く」は興味深かったけれど、なにせ、勉強不足で後期西田哲学を理解していないから全く面白くなかった。大東亜戦争と西田の話も、知識人のあり方を巡っては考えさせられるけれど、やはり「近代の超克」そのものを見た方が面白い。超克議論や和辻、西田哲学を真面目に勉強して少し考えてから読めば良かったと思う。これから真面目に勉強する。2012/12/30