内容説明
『源氏物語』を書いたのは誰と聞かれたら、どう答えればよい?―現代の常識は必ずしも過去にはそのまま当てはまらない。土器のかけらを丁寧に拾い集める考古学者にならって、写本等の文献に残された微かな痕跡をつぶさに観察してみると、そこにはどんな日本語の姿が蘇るだろうか。小さな手がかりから様々に推理する、刺激的な一書。
目次
1 「書かれた日本語」の誕生―最初の『万葉集』を想像する
2 『源氏物語』の「作者」は誰か―古典文学作品の「書き手」とは
3 オタマジャクシに見えた平仮名―藤原定家の『土佐日記』
4 「行」はいつ頃できたのか―写本の「行末」を観察する
5 和歌は何行で書かれたか―「書き方」から考える日本文学と和歌
6 「語り」から「文字」へ―流動体としての『平家物語』
7 「木」に読み解く語構成意識―「ツバキ」と「ヒイラギ」と
8 なぜ「書き間違えた」のか―誤写が伝える過去の息吹
9 「正しい日本語」とは何か―キリシタン版の「正誤表」から
10 テキストの「完成」とは―版本の「書き入れ」
著者等紹介
今野真二[コンノシンジ]
1958年神奈川県生まれ。1986年早稲田大学大学院博士課程後期退学。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。専攻は日本語学。著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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へくとぱすかる
51
再読。文献からわかることは、想像以上に多いものだと教えてくれる。古い文書を現代の目で評価すると、いかに見当違いな結論に導かれるかがわかる。私はくずし字を読めないが、その理由は、「変体がな」を知らないためだけではなかった。行を揃え、字の大きさを揃えることも、活字・原稿用紙の影響による習慣だということだ。歴史的文献の誤字・誤植っぽい例も、当時はそれが通用する表現だったりする。書くための規範は、実は現代がもっとも厳密なのではないか。過去の人々が、まずは書いてみたその累積が、ゆっくりと規範となっていったのだろう。2020/09/15
へくとぱすかる
33
前半のテクスト・クリティックにかかわる論がおもしろい。「土佐日記」に比べて時代が1世紀もあとなのに、「源氏物語」の原型を彷彿させる本がない、というのは意外かも。現代の、明朝体や原稿用紙に慣れた感覚で印刷以前の作品を論じると、大きな勘違いに陥る危険があるだろうとは確かに思う。表記の問題にほぼ話を絞っていて、歌物語などの写真図版が参考になる。2014/04/27
Koning
21
今野日本語何冊目だろうか、ここんとここの人の日本語関係の本を延々読んでる気がしなくもない(汗。で、これは考古学的手法で日本語の過去を文献から見て行くという事なんですが、まぁあれです本文批判系の日本語写本の適応とかそこから見えて来る日本語の変化を新書でご紹介。という感じ。なので、写本の系統の話(特に源氏と土佐日記)は聖書の写本を彷彿とさせるというかそういう感じで楽しめます。また天草文書による外国人の聞いた当時の九州の日本語の口語の発音とか、日本語に限らずどんな言語でもあるあるな中身なんだけど(続2014/06/05
るい
5
源氏物語の作者は誰か、和歌は何行で書かれたかなど、古典を読むと疑問に思うことが、いくつも解き明かされていた。じっくり読み込むなかで、やはり古典は魅力的だと再認識した。2018/04/05
狐狸窟彦兵衛
5
源氏物語の作者は誰か? 択一方式の問いなら「紫式部」にマークして「はい、正解」で、終わってしまいますが、いやまてよ。と踏みとどまって、考えることを求める書。実は、紫式部の直筆の原典って、伝わってません。一杯内容の異なる異本がありますよと解説されて「なるほど」と納得します。「土左日記」(土佐とちゃうらしい)にもいろいろ異本があるし、「書かれた日本語」の姿から、日本語の原風景を探すことがでるガイドブックとして、大変興味深い内容です。でも、浅学菲才の我が身には専門的過ぎてようついていかん、という恨みは残ります2014/07/09