内容説明
今日に至るまで絶大な影響を及ぼし、議論を引き起こし続けている哲学者ジル・ドゥルーズ(一九二五‐九五年)。ヒュームやベルクソンなどを対象とする哲学史研究から出発したドゥルーズは、やがてフェリックス・ガタリと「二人で書く」企てに挑戦し、晩年には映画論や芸術論に取り組んだ。その多彩な相貌を貫くものは何か―気鋭の研究者が二〇世紀最大の哲学者の方法と対象を精緻に分析し、その核心と実践的意義に迫る。
目次
第1章 自由間接話法的ヴィジョン―方法(自由間接話法;哲学研究の課題 ほか)
第2章 超越論的経験論―原理(超越論哲学と経験論哲学;無人島 ほか)
第3章 思考と主体性―実践(思考の強制;思考の習得と方法 ほか)
第4章 構造から機械へ―転回(ガタリとの出会い;構造と機械 ほか)
第5章 欲望と権力―政治(ミシェル・フーコーの歴史研究;『監獄の誕生』における二つの編成 ほか)
著者等紹介
國分功一郎[コクブンコウイチロウ]
1974年千葉県生まれ。1997年早稲田大学政治経済学部卒業。2006年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。パリ第10大学およびパリ社会科学高等研究院DEA取得。博士(学術)(東京大学)。現在、高崎経済大学経済学部准教授。専門は哲学・現代思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
47
本書は選書のレベルを超えていて、読み難いと思います。ただし、理解する水準までいけば、ドゥルーズのイメージを上手くとらえている本だと思います。難解な理由は、自由間接話法、超越論と経験論、フロイト、主体と思考などの前提が分かっていないと議論についていけないからだと思います。このことは本書だけに当てはまるのではなく、そもそもドゥルーズの議論が肯定的な前提を批判するために否定的に扱われている前提を持ってきて、それをひっくり返すが議論は前進していて弁証法的です。冒頭の自由間接話法は、いっけん解説本のようなドゥルーズ2021/10/05
サゴウ
43
ドゥルーズ入門本2冊目として。かなり難解な箇所もあったが、誠実にテキストを読み進めていく國分さんらしい内容だった。あとがきでも他にはないドゥルーズ論になったと編集者に言われた旨が書いてあったが、そんな気がした。まだ全然知らないけど。でも、テキストをしっかり読むことができれば新しい論を組み立てることができるのだというドゥルーズの実践がまさにこの本でもなぞられている気がする。2023/11/16
zirou1984
42
これは「読む」ことについての本だ。一般的にガタリとの共著における軽やかで刷新的なイメージに惑わされることなく、彼が単独で執筆した書物を中心として紐解いていく。その根本原理を解き明かす方法として重要となるのが「ドゥルーズが過去の哲学書をいかにして読んだか」という問いであった。問いながら読むことによって、過去の概念を更新し、問いを更にその発生へと問いかけ、実践において失敗しようとも注意深い再認から歩みを進めること。つまり、この書物は誤読する可能性すら内包し、そこから進めようとする理論が実践化された本なのだ。2016/05/16
燃えつきた棒
38
僕の理解力では、お世辞にも十分に理解できたとは言えない。 今、できることは、気になった言葉を書き連ねることくらいしかないだろう。 2018/05/31
chanvesa
27
ジジェクの「ドゥルーズ自身のテクストのうち、いかなるものも直接的に政治的であったためしなどない」(5頁)の引用から、欲望と資本主義の観点よりも、フーコーを論じることを通して欲望と権力の観点(第Ⅳ&Ⅴ章)がクローズアップされる。この方法はドゥルーズの【自由間接話法】を國分さんも用いているかのようだ。また、「シニフィアン(法、規則)とシニフィエ(その適用対象)の間には、必ず不均衡が存在する。ドゥルーズによれば、この不均衡こそが社会変革の動因である。(149頁)」は、悪い方向への変革もあるのかもしれない。2017/07/02