出版社内容情報
反乱を起こした中国人苦力(クーリー)たちを待ち受けた悲劇の運命。米英の軍艦と中国、薩摩の思惑に翻弄された琉球の苦悩は、現代の沖縄に通じていないか?
事件は、ペリーの黒船艦隊が浦賀に訪れた1年前に起こった…。
Ⅰ ロバートバウン号事件
Ⅱ 苦力貿易船石垣島漂着
Ⅲ 洋上での苦力の反乱
Ⅳ 米英の事件対応と連携
Ⅴ 米英の苦力拿捕作戦
Ⅵ 抵抗する中国の両広総督
Ⅶ 琉球国の対応
Ⅷ 脱出する中国人像
Ⅸ 国際親善の象徴―石垣島唐人墓の建立
事件は今から147年前のできごとである。中国の厦門から410人の苦力を乗せたアメリカ商戦ロバートバウン号が石垣島の崎枝半島に座礁し、大勢の苦力と異国人が上陸してきたのである。
当時、琉球国は薩摩の支配下にありながらも、表向きは独立を維持し、中国と朝貢関係を結んでいた。その関係もあって、漂着する中国人にあっては大切に扱い、護送して送還するのが慣例であった。
この漂着事件に際しても琉球国は、当初、例にならって護送船の手配を始めていたのであるが、突然それを中止した。中止する事情が次第に明らかになってきたのである。漂着した唐人を収容し、水や食事を与えて、とりあえず首里王府へ事件報告を行った矢先、イギリスの軍艦が二艘姿を見せて大砲を島に撃ち込んできた。そして、苦力の拿捕作戦を開始したのである。さらに、その軍艦が去った後、今度はアメリカの軍艦がやってきて、島中を苦力の捜索にあたった。おそらく一年後の、江戸の黒船騒動以上だったことだろう。
島の役人たちは、かれらの通訳を介して、唐人がサンフランシスコに行く苦力であり、洋上において船長以下六人を殺害していた事実を知り、異国の軍艦が来航する理由がわ
内容説明
石垣東の観光スポットのひとつ「唐人墓」は、分かるようで分かりにくいものである。その歴史の本質に総合的に光をあてた本がはじめて出た。著者は高校の英語の教師で、かつて学校現場の複雑な問題について、勇気ある本を書いた。今度は歴史の裏通りの事件にクールな疑問を抱き、夏休みにロンドンの図書館や公文書館まであさって、前世紀の知られざる国際問題を解き明かす本を書いた。おどろくべきは、その歴史の意味が今日の沖縄とよく通じていることだ。
目次
ロバートバウン号事件
漂着
洋上の反乱
米英の連携と対応
拿捕作戦開始
抵抗する中国
琉球国の対応(処遇;悪夢の日々)
苦力たちの見たもの
石垣島唐人墓