吉備考古ライブラリィ<br> 石棺と陶棺

電子版価格
¥1,320
  • 電子版あり
  • ポイントキャンペーン

吉備考古ライブラリィ
石棺と陶棺

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ A5判/ページ数 163p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784860691066
  • NDC分類 210.2
  • Cコード C0021

出版社内容情報

吉備にある石棺と陶棺の形や大きさ、材質の特徴、素材の供給ルートの変遷、納められた墳丘の形や規模の違い、分布などを徹底分析。古墳時代から飛鳥時代の吉備国の盛衰や首長のネットワークが見えてくる!

第一章 考古資料としての棺
 はじめに
  第一節 石棺の種類と特色
  第二節 陶棺の種類と特色
第二章 前方後円墳の時代の石棺
  第一節 前期の石棺
  第二節 中期の石棺
  第三節 後期の石棺
第三章 前方後円墳以後
  第一節 「竜山石」製の家形石棺
  第二節 無突起の小形石棺
  第三節 横穴式石室と横口式石槨
第四章 吉備の陶棺
  第一節 陶棺の分布について
  第二節 発掘調査で出土した陶棺
  第三節 陶棺の複数使用例
  第四節 陶棺の移り変わり
第五章 石棺・陶棺からみた吉備的世界
  第一節 多種多様な石棺
  第二節 石棺の独自供給と秩序
  第三節 陶棺の盛衰と仏教思想
新しい時代への動き

おわりに 新しい時代への動き
 本書で飛鳥時代と呼ぶ七世紀代は、律令国家に向けた胎動期として、さまざまな改革や新制度の導入がはかられた時代である。その前半代は、有力氏族の蘇我氏を中心とする政治体制のもとで推移し、六四五年にそれが瓦解した。以後、いわゆる大化の改新と呼ばれる一連の改革を皮切りに、中央集権体制に向けた動きに拍車がかかる。
 その背景には、風雲急を告げる東アジア世界の情勢があった。久々の中国統一王朝として五八九年に興った隋は、六一八年には早くも唐に取って代わられる。唐は、東方への膨張策として六四五年に高句麗に侵攻し、六六○年には新羅と連合して百済を滅ぼした。斉明朝は、百済再興のために派兵したものの、六六三年に白村江の戦いで敗れたことによって、朝鮮半島での足がかりを事実上失う。そして、新羅は唐の勢力を駆逐して半島統一を果たす。六七六年のことである。
 要するに、とくに白村江の戦い以降は、半島情勢に気を配りながら防衛強化に努める一方で、内政に力を注いで中央集権化を加速せざるを得なかったのである。その途上、六七一年に、一連の改革を事実上推進してきた中大兄皇子、すなわち天智天皇が死去した。その後、壬申い[文献129]。北部九州から瀬戸内海周辺にかけては類似施設が点在しており、各々に特色をもつものの、戦略的に配された一連の軍事施設であったと思われる。さらに、仏教思想の浸透に伴って氏寺の建立も盛んにおこなわれた。このような営造行為には、前方後円墳の築造をはるかにしのぐ労力が注ぎ込まれたことであろう。 
 前方後円墳という共通要素が消え去ったことにより、吉備という枠組みもまた曖昧模糊なものとなった。むしろ、かつての吉備のうちで、局地的な個性がより強まったようにみえる。このような飛鳥時代の枠組みをどのように描き出し、局地的な個性をどのように関連づけていくか、また別の意味で考古学の真価が問われているように思える。

吉備にある石棺と陶棺の形や大きさの特徴、材質、素材の供給ルートの変遷、納められた墳丘の形や規模の分布などを徹底分析。古墳時代~飛鳥時代の吉備の盛衰や首長のネットワーク、大和政権との関係なども見えてくる。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

邪馬台国

0
調べ物として。2014/02/28

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/2166766
  • ご注意事項

最近チェックした商品